◇◆◇日々のみ言葉
2024年11月1日(金)
◎聖書箇所【第Ⅰコリント人への手紙11章20節~22節】
11:20 しかし、そういうわけで、あなたがたは一緒に集まっても、それは主の晩餐を食べるためではありません。
11:21 食事のとき、めいめい我先にと自分の食事を済ませるので、空腹な者もおれば、酔っている者もいるというしまつです。
11:22 飲食のためなら、自分の家があるでしょう。それとも、あなたがたは、神の教会を軽んじ、貧しい人たちをはずかしめたいのですか。私はあなたがたに何と言ったらよいでしょう。ほめるべきでしょうか。このことに関しては、ほめるわけにはいきません。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載します。
『11:20 ところで、あなたがたは聖餐式の前に一緒に食事をしている。
11:21 先に来た者はすでにそこで食事を済ませているが、後から来た者はまだ空腹のままでいる状態で、そのため争いが起こっている。
11:22 飲食のことで争いを起こすくらいなら、食事は、自分の家で済ませて来たらよいではないか。神の教会が軽んじられないために、教会では聖餐式だけをするようにしたらよい。だから、このことに関しては、苦情を言うほかはない。』
教会では、毎回聖餐式が行なわれていました。なぜなら、主イエス様が制定されていた礼典であったからです。
『それから、パンを取り、感謝をささげてから、裂いて、弟子たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与える、私のからだです。私を覚えてこれを行ないなさい。」
食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される私の血による新しい契約です。」(ルカ22:19~22:20)』と、主は言われたのです。
そして、ここからも分かりますように、聖餐式は食事の後に行なわれたのです。食事は、教会の姉妹たちによって用意されたと思われます。この時、一緒に集まって食事を取ったのではなく、めいめいが勝手に食事をしたようです。その為、食事がなくなってしまい、後から来た者が、食事にありつけず、空腹のままであったということです。
ここから、教会においては、皆が集まって、祈ってから食事を一斉に取るということが始まったのではないでしょうか。明日も続きとなります。》