◎本日の聖書箇所【ルカの福音書7章18節~23節】(新約聖書p.124下段右側)
7:18 さて、ヨハネの弟子たちは、これらのことをすべてヨハネに報告した。すると、ヨハネは弟子たちの中から二人の者を呼んで、
7:19 こう言づけて、主のもとに送り出した。「おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも、ほかの方を待つべきでしょうか。」
7:20 その人たちはみもとに来て言った。「私たちはバプテスマのヨハネから遣わされて、ここに参りました。『おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも、ほかの方を待つべきでしょうか』と、ヨハネが申しております。」
7:21 ちょうどそのころ、イエスは病気や苦しみや悪霊に悩む多くの人たちを癒やし、また目の見えない多くの人たちを見えるようにしておられた。
7:22 イエスは彼らにこう答えられた。「あなたがたは行って、自分たちが見たり聞いたりしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない者たちが見、足の不自由な者たちが歩き、ツァラアトに冒された者たちがきよめられ、耳の聞こえない者たちが聞き、死人たちが生き返り、貧しい者たちに福音が伝えられています。
7:23 だれでも、わたしにつまずかない者は幸いです。」
◎メッセージ【ヨハネの弟子たちの訪問】
《ここで、ルカはバプテスマのヨハネのことについて書き記しています。マルコは、『ヨハネが捕らえられた後、イエスは神の福音を宣べ伝えて言われた。』としていますが、ヨハネでは、バプテスマのヨハネの働きと主イエスの宣教の働きが重なった時期があったことを書き記しています。
さて、本日の聖書箇所の場面では、ヨハネは獄中にいることが分かります。ヨハネの弟子たちは、ヨハネの身の回りの世話をすることは許されていました。ヨハネは、二人の弟子たちを主イエスのもとに送ります。
「私たちはバプテスマのヨハネから遣わされて、ここに参りました。『おいでになるはずの方はあなたですか。それとも、他の方を待つべきでしょうか』と、ヨハネが申しております。」
実は、この言付けなのですが、ギリシャ原語は句読点がありませんから、疑問文にも、また肯定文にも取れるのです。疑問文として取りますと、新改訳の文章になります。しかし、肯定文と取りますと、「あなたこそ、あの来るべき救い主です。それとも、私たちは他に待つべきだとおっしゃるのですか。(現代訳)」となるのです。
主イエスはこう答えます。
『「あなたがたは行って、自分たちが見たり聞いたりしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない者たちが見、足の不自由な者たちが歩き、耳の聞こえない者たちが聞き、死人たちが生き返り、貧しい者たちに福音が伝えられています。』
つまり、「見たことをあるがままに伝えなさい」と言うことです。ヨハネは、主イエスにバプテスマを授けた時、自分の働きが間もなく終わることを知っていました。その時、父なる神様によって、目の前のお方こそ救い主であることを示されたのです。それにも関わらず、なぜこのような質問を弟子たちに託したのでしょうか。
尾山先生の解説ですと、バプテスマのヨハネもやはり人の子であって、人間的な弱さを覚え、今すぐにも獄中から解放して欲しい、助け出して欲しいと言う願いがあったからです。
しかし、主は素晴らしい言葉を彼らに託しヨハネに伝えます。
「だれでも、わたしにつまずかない者は幸いです。」
信仰生活には、波があります。時には試練がやって来ます。すると、人は恐れ、主イエスを疑い始めるのです。中には、パウロの弟子デマスのように、信仰を失ない、去って行く者さえ存在します。私たちは、主イエスの御もとに留まる者です。主の語られた御言葉に聞き従う者です。主につまずいてはなりません。このお方を疑ってはなりません。このお方を信頼するものは、決して失望することがなく、また、決してあわてることがないのですから。》