◇◆◇日々のみ言葉
2024年11月10日(日)
◎聖書箇所【第Ⅰコリント人への手紙11章31節】
11:31 しかし、もし私たちが自分をさばくなら、さばかれることはありません。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載します。
『11:31 自分を反省していたら、さばかれることはなかった。』
パウロはこのように言っています。》
『しかし、私にとっては、あなたがたによる判定、あるいは、およそ人間による判決を受けることは、非常に小さなことです。事実、私は自分で自分をさばくことさえしません。(新改訳 第Ⅰコリント4:3)』と。
ここでパウロが言っていることと、今日のみ言葉の箇所と比較しますと、矛盾していることに気づかされます。なぜなら、新改訳の聖書箇所の訳が間違っているからです。
「自分を反省していたら」が正しいのです。つまり、悔い改めることなのです。
聖餐式を受ける前に、前回の聖餐式から過ぎ去った日々を思い起こし、何か罪を示されたのなら、その罪を主イエス様の十字架の御もとに持って行くのです。そして、赦しをいただいてから聖餐にあずかるのです。
聖餐は、単にウェハースを食べ、葡萄液(本当は葡萄酒ですが)を飲むことではないのです。十字架につけられた主の御体と一つになることなのです。主の心と思いとに一つになることなのです。
そこには、霊的、精神的、肉体的ないやしがあります。ブラジルにおいては、聖餐式を通して、多くのいやしの奇跡が起こった報告を聞いたことがあります。
開発途上国においては、まさに主が聖餐式を用いて、人々に触れておられるのです。》