◇◆◇日々のみ言葉
2025年1月3日(金)
◎聖書箇所【第Ⅰコリント人への手紙14章2節~4節】
14:2 異言を話す者は、人に話すのではなく、神に話すのです。というのは、だれも聞いていないのに、自分の霊で奥義を話すからです。
14:3 ところが預言する者は、徳を高め、勧めをなし、慰めを与えるために、人に向かって話します。
14:4 異言を話す者は自分の徳を高めますが、預言する者は教会の徳を高めます。
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。再度ですが、現代訳を掲載いたします。
『14:2 一般の人には分からない特別な言葉を語る者は、人々に語るのではなく、神に語るのだ。それは、だれにも理解できないのに、奥義を語っている。
14:3 ところが、預言の場合は、人々の分かる言葉で語り、教会の為になる。
14:4 特別な言葉を語る者は自分の為にすぎないが、預言する者は教会の為になる。』
この箇所から、異言よりも預言が優れているかのような錯覚に陥る可能性があることは、明らかです。しかし、はっきりと申し上げますが、どちらも大切です。
ただ、用い方が問題となるのです。「異言を話す者は、人に話すのではなく、神に話す」とパウロが言うように、奥まった部屋で、静かな環境で、その人と神様と交わりにおいて異言を話し、用いるべきなのです。
そして、預言とは、母国語で、すなわち私たち日本人は日本語で、しかも人に向かって話すことになるわけです。
預言とは、証しであり、また奨励であり、慰めの言葉であり、励ましの言葉であるべきです。人を批判し、裁く言葉では決してないのです。
しかし、ある場合において、忠告が必要になった時には、相手の側に立った「柔らかな言葉」であるべきです。
その場合には、教会において、上に立つ者がすべきであると信じます。これも預言の一部と言えるでしょう。
それゆえに、「預言する者は教会の為になる」わけです。》