• 2025年1月12日礼拝メッセージの概要

    ※本日の聖書箇所(ルカの福音書8章4節~25節)新約p.127上段右側
    8:4 さて、大勢の群衆が集まり、方々の町から人々がみもとにやって来たので、イエスはたとえを用いて話された。
    8:5 「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。蒔いていると、ある種が道端に落ちた。すると、人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった。
    8:6 また、別の種は岩の上に落ちた。生長したが、水分がなかったので枯れてしまった。
    8:7 また、別の種は茨の真ん中に落ちた。すると、茨も一緒に生え出てふさいでしまった。
    8:8 また、別の種は良い地に落ち、生長して百倍の実を結んだ。」イエスはこれらのことを話しながら、大声で言われた。「聞く耳のある者は聞きなさい。」
    8:9 弟子たちは、このたとえがどういう意味なのか、イエスに尋ねた。
    8:10 イエスは言われた。「あなたがたには神の国の奥義を知ることが許されていますが、ほかの人たちには、たとえで話します。『彼らが見ていても見ることがなく、聞いていても悟ることがないように』するためです。
    8:11 このたとえの意味はこうです。種は神の言葉です。
    8:12 道端に落ちたものとは、み言葉を聞いても信じて救われないように、後で悪魔が来て、その心からみ言葉を取り去ってしまう、そのような人たちのことです。
    8:13 岩の上に落ちたものとは、み言葉を聞くと喜んで受け入れるのですが、根がないので、しばらくは信じていても試練のときに身を引いてしまう、そのような人たちのことです。
    8:14 茨の中に落ちたものとは、こういう人たちのことです。彼らはみ言葉を聞いたのですが、時がたつにつれ、生活における思い煩いや、富や、快楽でふさがれて、実が熟すまでになりません。
    8:15 しかし、良い地に落ちたものとは、こういう人たちのことです。彼らは立派な良い心でみ言葉を聞いて、それをしっかり守り、忍耐して実を結びます。」

    ◎メッセージ【あなたにとって聖書とは?】
    《このたとえは、「種蒔く人」のたとえと言われています。「種を蒔く人」とは、主イエスご自身のことであり、また十二使徒、伝道師、そして私たちをも間接的には指しています。
    そして、一番大切なことは、このたとえは未信者の人たちに向けて語られたのではない、ということです。
    最初は、「道端に落ちた種で、人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった」というたとえです。この解き明かしは、「み言葉を聞いても信じて救われないように、後で悪魔が来て、その心からみ言葉を取り去ってしまう、そのような人たち」ということです。
    次に、「岩の上に落ちた種で、生長したが、水分がなかったので枯れてしまった」というたとえです。この解き明かしは、「み言葉を聞くと喜んで受け入れるのですが、根がないので、しばらくは信じていても試練のときに身を引いてしまう、そのような人たち」ということです。「水分」とは、聖霊様のことであり、またみ言葉だと思われます。
    そして、「茨の真ん中に落ちた種で、茨も一緒に生え出てふさいでしまった」と言うたとえであり、この解き明かしは、「み言葉を聞いたのですが、時がたつにつれ、生活における思い煩いや、富や、快楽でふさがれて、実が熟すまでにならない人たち」とのことです。
    そして、最後の言われた「たとえ」こそが、成長したクリスチャンのことです。「また、別の種は良い地に落ち、生長して百倍の実を結んだ」と。この解き明かしは、「彼らは立派な良い心でみ言葉を聞いて、それをしっかり守り、忍耐して実を結ぶ人たちである」と主は言われるのです。
    この人たちは、主の信仰に留まった人のことです。そして、そのキイポイントとは、主が言われた「聞く耳のある者は聞きなさい」と言うことなのです。み言葉を聞くだけではなく、み言葉に従い実行することが大事なのです。み言葉(聖書)こそ、私たちの道しるべなのです。 詩篇には、『あなたのみ言葉は私の足のともしび私の道の光です。』と書かれています。
    良い実を結びましょう。そのためには、五つのことを尾山先生は勧めています。
    1.毎日聖書を読むこと。  2.毎日祈ること。 3.み言葉に従うこと。
    4.証しをすること。    5.教会に集うこと。
    このことを真剣に心掛けますと、良い実をたくさん結ぶと言われたのです。日々、聖書(み言葉)を開き、思い巡らし、み言葉と共に歩んで行きましょう。時が迫っているからです。》

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