• 2025年1月19日礼拝メッセージの概要

    ※本日の聖書箇所(ルカの福音書8章16節~18節)新約p.127下段左側
    8:16 明かりをつけてから、それを器で隠したり、寝台の下に置いたりする人はいません。燭台の上に置いて、入って来た人たちに光が見えるようにします。
    8:17 隠れているもので、あらわにされないものはなく、秘められたもので知られないもの、明らかにされないものはありません。
    8:18 ですから、聞き方に注意しなさい。というのは、持っている人はさらに与えられ、持っていない人は、持っていると思っているものまで取り上げられるからです。」

    ◎メッセージ【神の明かり】
    《エペソ人の手紙において、使徒パウロは、『以前の私たちは、自分の背きと罪の中に死んでいた者であり、この世の霊に従って歩んでいました。しかし、恵みと哀れみによって、私たちは救われたのです。そして、死んでいた霊が生き返ったのです。滅びに向かっていた人生から、一転して、天の御国への人生を歩み始めたのです。神はまた、キリスト・イエスにあって、私たちを共によみがえらせ、共に天上に座らせて下さいました』と、言っています。
    また、パウロは、『神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。』とも言っています。何と世界が始まる前から、私たちは救われることが計画されていたのです。
    さて、私たちは、恵みによって救われました。それは証しをする為にです。この世を創造された真の神様がおられること、そのお方こそが、私たちの罪の身代わりとして十字架に掛かって死んで下さった主イエスであることを。そして、私たちが永遠に生きる為に、三日目によみがえって下さったことを、人々に証しし、伝える為なのです。
    主は言われます。「明かりをつけてから、それを器で隠したり、寝台の下に置いたりする人はいません。燭台の上に置いて、入って来た人たちに光が見えるようにします。」と。
    この「明かり」こそ、私たちです。山上の垂訓において、主は弟子たちに、「あなたがたは世の光です。山の上にある町は隠れることができません。また、明かりをともして升の下に置いたりはしません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいるすべての人を照らします。このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。」』とも言われました。
    この世は真っ暗闇です。明かりが必要です。主はご自身のことを「私が世にいる間は、私が世の光です」と言われました。今は、私たちが「世の光」であり「明かり」なのです。光は闇を照らし、そこにある物を明らかにします。
    また主イエスは、「聞き方に注意しなさい。持っている人はさらに与えられ、持っていない人は、持っていると思っているものまで取り上げられるからです。」と言われましたが、
    「持っている人」とは、主のみ言葉に留まり、主に対する信仰を持っている人のことであり、よってさらに成長し、さらに多くの物を与えられます。次に、「持っていない人」とは、主のみ言葉を心に留めることもなく、主に対する信頼を持っていない人のことであり、成長するどころか、やがてその信仰もしぼんでしまいます。ここに、「命のある者」と「命のない者」の差が生まれて来ます。
    私たちは、真に「神様の明かり」です。御霊なる神様が、私と言うロウソクに火を灯して下さるのです。それゆえ、私たちは、主のみ言葉を持ち続けている限り、この世において「神様の明かり」として、絶え間なく輝くことが出来るのです。真っ暗闇においては、たとえ小さな明かりが、たった一つ灯っていたとしても、それははっきりと見えるのです。》

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