◇◆◇日々のみ言葉
2025年3月14日(金)
◎聖書箇所【第Ⅱコリント人への手紙1章4節~5節】
1:4 神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めて下さいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。
1:5 それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。
◎ショートメッセージ
《昨日から、第Ⅱコリント人への手紙に入っています。現代訳を掲載します。
『1:4 この神は、どのような苦しみの中にあっても、私たちを慰めて下さり、また、私たち自身もこの神から頂くその慰めによって、どのような苦しみの中にいる人でも慰めることができるようにして下さるのである。
1:5 それは、私たちにキリストの苦しみがあふれているように、私たちの受ける慰めもまた、キリストによってあふれているからである。』
ここに書かれていることは、非常に難しいことだと思います。しかし、真理でもあり奥義でもあると思われます。
なぜ、神様は、私たちが受けているどのような苦しみの時にも、慰めて下さるのでしょうか。それは、主イエス・キリストの十字架を通して成される御わざなのです。
イザヤ書53章によりますと、
『まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。
彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。
しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼が私の民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。
彼の墓は悪者どもと共に設けられ、彼は富む者と共に葬られた。彼は暴虐を行なわず、その口に欺きはなかったが。
しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみ心であった。もし彼が、自分の命を罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみ心は彼によって成し遂げられる。
彼は、自分の命の激しい苦しみのあとを見て、満足する。私の正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。(イザヤ53:4~53:11)』
と、苦しみのメシア預言が書き記されています。
主イエスは、私たちの身代わりとして、すべての病とすべての裁きを、その身に引き受けられたのです。
これ以上、苦しまれたお方は存在しません。だからこそ、私たちの主は、私たちを慰めることが出来るのです。》