• 日々のみ言葉 2025年4月9日(水)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2025年4月9日(水)

    ◎聖書箇所【第Ⅱコリント人への手紙3章9節~11節】
    3:9 罪に定める務めに栄光があるのなら、義とする務めには、なおさら、栄光があふれるのです。
    3:10 そして、かつて栄光を受けたものは、この場合、さらにすぐれた栄光のゆえに、栄光のないものになっているからです。
    3:11 もし消え去るべきものにも栄光があったのなら、永続するものには、なおさら栄光があるはずです。

    ◎ショートメッセージ
    《現代訳を掲載いたします。
    『3:9 人を死に至らせる働きにも栄光があったのだから、人を救う働きは、どれほど素晴らしい栄光の働きであるかは、想像を絶するものがある。
    3:10 だから、モーセの顔にあった律法の栄光は、イエス・キリストの御顔にある福音によって、すっかり影が薄くなってしまった。
    3:11 消え行くものにも栄光があったのだから、永続するものの栄光の素晴らしさは言うまでもないことではないか。』

    神様は、モーセを通して、ユダヤ人に「律法」をお与えになりました。これはユダヤ人だけではなく、すべての人間に与えられたものでした。
    なぜなら、「罪」とは何か。それを示す規範が何もなかったからでした。罪の代価は「死」です。人は、罪を犯したのなら、死ななければならないのです。
    となりますと、もし罪を全く犯さなかったとしたら、その人は死ぬことなく、生き続けることができることになるのではないでしょうか。しかも永遠にです。
    この状態が、罪を犯す前までのアダムとエバだったのです。しかし、最初の人であった二人は罪を犯してしまいました。その子孫である私たちは、罪人として生まれて来ることになったわけです。これが「原罪」と言われるものでした。
    しかし、誤解してはならないことは、人は「原罪」で死ぬのではありません。その人自身が犯した罪によって死ぬのです。一つでも罪を犯したのなら、死ななければならないからです。
    だからこそ、主イエス様が、人としてこの世界に来て下さったのです。救い主として、十字架にかかられる為に。私たちの罪の身代わりとして死ぬ為に。明日も同じ箇所からとなります。》

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