◇◆◇日々のみ言葉
2025年4月10日(木)
◎聖書箇所【第Ⅱコリント人への手紙3章9節~11節】
3:9 罪に定める務めに栄光があるのなら、義とする務めには、なおさら、栄光があふれるのです。
3:10 そして、かつて栄光を受けたものは、この場合、さらにすぐれた栄光のゆえに、栄光のないものになっているからです。
3:11 もし消え去るべきものにも栄光があったのなら、永続するものには、なおさら栄光があるはずです。
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。再度となりますが、現代訳を掲載いたします。
『3:9 人を死に至らせる働きにも栄光があったのだから、人を救う働きは、どれほど素晴らしい栄光の働きであるかは、想像を絶するものがある。
3:10 だから、モーセの顔にあった律法の栄光は、イエス・キリストの御顔にある福音によって、すっかり影が薄くなってしまった。
3:11 消え行くものにも栄光があったのだから、永続するものの栄光の素晴らしさは言うまでもないことではないか。』
このことを、主イエスは、側近の弟子であるシモン・ペテロとヤコブとヨハネだけに示されたことがありました。
『それから六日たって、イエスは、ペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。
そして彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった。しかも、モーセとエリヤが現われてイエスと話し合っているではないか。
すると、ペテロが口出ししてイエスに言った。
「先生。私たちがここにいることは、すばらしいことです。もし、およろしければ、私が、ここに三つの幕屋を造ります。あなたのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ。」
彼がまだ話している間に、見よ、光り輝く雲がその人々を包み、そして、雲の中から、「これは、私の愛する子、私はこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい。」という声がした。弟子たちは、この声を聞くと、ひれ伏して非常にこわがった。
すると、イエスが来られて、彼らに手を触れ、「起きなさい。こわがることはない。」と言われた。(マタイ17:1~17:7)』
この時、まさしく三人の側近の弟子たちは、主の栄光を目の当たりにしたのです。主の御顔は、モーセよりも遙かに輝いていたに違いないのです。
やがて、シモン・ペテロとヨハネは、エルサレム教会を主の弟ヤコブと共に導いて行くことになります。しかし、ヨハネの兄ヤコブは殉教してしまいます。》