◇◆◇日々のみ言葉
2025年5月20日(火)
◎聖書箇所【第Ⅱコリント人への手紙6章4節後半~8節前半】
6:4 すなわち非常な忍耐と、悩みと、苦しみと、嘆きの中で、
6:5 また、むち打たれるときにも、入獄にも、暴動にも、労役にも、徹夜にも、断食にも、
6:6 また、純潔と知識と、寛容と親切と、聖霊と偽りのない愛と、
6:7 真理の言葉と神の力とにより、また、左右の手に持っている義の武器により、
6:8 また、ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載いたします。
『6:4 次々と襲ってくる悩み、苦しみ、困難の中にあっても、それに耐え、
6:5 むちで打たれても、投獄されても、暴動が起こっても、力尽きるまで働いても、徹夜をしても、断食をしても、
6:6 そのような中にあって、純潔を保ち、神の言葉を高く掲げ、寛容と思いやりを持ち、聖霊の超自然的な力と、純粋な愛を持っていた。
6:7 そして真理の言葉である福音を、神の力とによって力強く宣べ伝えて来た。また、神の正義によって悪魔との戦いを続け、
6:8 ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博している中で、信仰の戦いを戦い抜き、自分が本当に神に仕える者であるということを示して来た。』
6章3節から10節まで、全く区切れがない長い文章になっています。よって、区切れの良い所で、文書を切って、学んでいます。
ここでは、パウロは、その伝道生涯において、起こった出来事を様々と述べています。「純潔」とは、主イエスから決して離れなかったことを意味しています。
そして、パウロ自身、本当に神に仕える者であることを、多くの人々に、また異邦人に証しして来たと言っています。
本当ならば、燃え尽き、また疲れ果ててしまうはずなのですが、やはり、かつてのサウロとして、キリスト教を迫害して来たという負い目があるのでしょうか。
そのつぐないとして、また真理を知った者として、主イエスによって、第三の天にまで引き上げられた者としての責任と恵みから、パウロは、ネバー・ギブ・アップすることは、許されなかったに違いありません。
そして、パウロが存在したからこそ、日本にまで福音が届けられたのです。》