◇◆◇2025年6月15日 第三主日礼拝メッセージ
※本日の聖書箇所「ルカの福音書9章37節~43節」(新約p.132下段左側)
9:37 次の日、一行が山から下りて来ると、大勢の群衆がイエスを迎えた。
9:38 すると見よ、群衆の中から、一人の人が叫んで言った。「先生、お願いします。息子を見てやってください。私の一人息子です。
9:39 ご覧ください。霊がこの子に取りつくと、突然叫びます。そして、引きつけを起こさせて泡を吹かせ、打ちのめして、なかなか離れようとしません。
9:40 あなたのお弟子たちに、霊を追い出してくださいとお願いしたのですが、できませんでした。」
9:41 イエスは答えられた。「ああ、不信仰な曲がった時代だ。いつまで、私はあなたがたと一緒にいて、あなたがたに我慢しなければならないのか。あなたの子をここに連れて来なさい。」
9:42 その子が来る途中でも、悪霊は彼を倒して引きつけを起こさせた。しかし、イエスは汚れた霊を叱り、その子を癒やして父親に渡された。
9:43 人々はみな、神の偉大さに驚嘆した。
◎メッセージ【悪霊を追い出す権威とは?】
《「次の日」と書かれていますから、ヘルモン山の山麓にて、主イエスの一行は野宿したことが分かります。彼らが山から下りて来ますと、何と大勢の群衆が出迎えたとあります。
この記事は、三つの共観福音書に書き記されています。よって、主イエスは非常に大切な真理を私たちに教えていることが分かります。
この出来事から二つの真理を学びます。一つは、悪霊を追い出す権威のことです。これは、主イエスを信じ従うクリスチャンならば、誰にでも与えられています。
しかし、だからと言って、無闇にこの権威を振りかざすべきではないことは当然のことです。なぜなら、これは「遊び」ではなく、生きるか死ぬかの悪霊との霊的戦いであるからです。
まず、私たちがしっかりと知っておかなければならないことは、悪魔と悪霊は空想や物語の産物ではなく、この世界に実在するということです。
すべての犯罪の背後には、必ず悪霊が関わっています。またすべての病気も悪霊が引き起こしていると、私は信じています。私たちには、主イエスの御名によって、悪霊を縛り、追い出す権威が与えられています。
そしてもう一つは、主が弟子たちの質問に答えた答えにあります。マタイの福音書では、「なぜ私たちは悪霊を追い出せなかったのですか。」
「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに言います。もし、からし種ほどの信仰があるなら、この山に『ここからあそこに移れ』と言えば移ります。あなたがたにできないことは何もありません。」と、書き記されています。
主イエスは、この出来事を通して、私たちの信仰のあり方を教えているのです。私たちは、ちょっと物事が上手く行かなくなると、神様に対して疑いを持ちやすいのです。しかし、主は創造主であられ、すべてをご存じのお方です。このお方を本当に信じ、信頼して行くことが、強く求められています。ヘブル人への手紙の著者は、信仰についてこう勧めています。
『さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いて下さる方であることを、信じなければならないのです。』と。
残念ながら、この世界は未だに悪魔の手の中にあります。主イエスは、すでに勝利者ですが、真の勝利がこの世界にもたらされるには、主の再臨の時を待たなければなりません。
悪魔、悪霊どもは、私たちクリスチャンに対して、何とか信仰を打ち崩そうとして、様々な攻撃を仕掛けて来ます。そんな時に敵に対する武器は、聖書のみ言葉であり、祈りであり、主イエスの御名によって、悪霊を縛り、追い出すことなのです。
そして、神様に対する信仰のあり方として、私たちは、主イエス様を全面的に信頼し、信じ、つき従って行くのです。主は、何時いかなる時も、私たちと共にいて下さいます。》