◇◆◇日々のみ言葉
2025年8月5日(火)
◎聖書箇所【第Ⅱコリント人への手紙11章19節~20節】
11:19 あなたがたは賢いのに、よくも喜んで愚か者たちをこらえています。
11:20 事実、あなたがたは、だれかに奴隷にされても、食い尽くされても、だまされても、いばられても、顔をたたかれても、こらえているではありませんか。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載いたします。
『11:19 あなたがたは賢い人であるのに、どうしてあの愚か者たちの言うことを素直に聞いているのか。
11:20 現に、あなたがたは、奴隷のようにされても、食いものにされても、だまされても、威張られても、顔をたたかれても、平気でいる。』
新改訳の「こらえている」と言う訳は正しい訳ではありません。ある意味においては「我慢している」、あるいは「忍耐している」と、意味を間違って捉えてしまう感じがします。 そうではなく、彼らは「平気でいる」ということなのです。つまり、何が正しいのか、または間違っているのか、判断がつかないのです。
現在においては、カルト化したプロテスタント教会が、まさしく当てはまります。もちろん最初からカルト化したわけではありません。徐々に道を踏み外して行ったのです。
例えば、「自分たちだけが正しい」と主張する教会は、危険信号がすでに灯っています。もしかしたら、黄色の点滅状態かも知れません。そのうち赤になってしまってからは、遅いのです。そこから抜け出すには、かなりの犠牲と痛みが伴うことになります。
私たちが一番に規範すべきものは、聖書です。牧師先生や宣教師の先生ではないのです。多くの場合、主イエス・キリストよりも、教会の建物や人が注目されることになって行きます。
私たちは常に目覚めているべきです。なぜならパウロが言っていることは、現在でも起こることなのですから。》