◇◆◇日々のみ言葉
2025年8月6日(水)
◎聖書箇所【第Ⅱコリント人への手紙11章21節】
11:21 言うのも恥ずかしいことですが、言わなければなりません。私たちは弱かったのです。しかし、人があえて誇ろうとすることなら、――私は愚かになって言いますが、――私もあえて誇りましょう。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載いたします。
『11:21 言うのも恥ずかしいことだが、私は弱くて、とてもそんなまねなどできはしない。けれども、彼らが誇るなら、私にだって誇ることはある。もちろん、愚か者として言うのだが。』
ここで、パウロは自分の弱さを告白しています。弱い面を人に見せることは、なかなか出来ないことです。
しかし、別の箇所においては、彼はこのように告白しているのです。
『主は、「私の恵みは、あなたに十分である。というのは、私の力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。(第Ⅱコリント12:9~12:10)』と。
以前のサウロは決して弱い者ではありませんでした。しかし、この時のパウロは明らかに弱さを訴えています。つまり、復活の主イエスにお会いしたことにより、彼は精神的にも、そして肉体的にも弱くされたのです。そのことを、取り去ってほしいと、主に何度も願い出たのですが、その答えがこの箇所となるわけです。
パウロは、高慢にならない為にも、殉教するまで、そのままに留め置かれました。すなわち、弱いままに。
ところで、新改訳では、「私たち」と複数になっていますが、これはパウロとコリント教会の人々を指しているかと思われます。パウロもそうですが、コリント教会の人々も弱いということです。この意味は、彼らは、何が本物なのか、何が真理なのか分からない、と言うことを指し示しています。それゆえ、偽教師に、偽使徒にだまされてしまったのです。》