◇◆◇日々のみ言葉
2015年11月10日(火)
◎聖書箇所 【マルコの福音書7章36節~37節】
7:36 イエスは、このことを誰にも言ってはならない、と命じられたが、彼らは口止めされればされるほど、かえって言いふらした。
7:37 人々は非常に驚いて言った。「この方のなさったことは、みなすばらしい。つんぼを聞こえるようにし、おしを話せるようにしてくださった。」
◎ショートメッセージ
《『人々は、耳が聞こえず、口のきけない人を連れて来て、彼の上に手を置いてくださるそこで、イエスは、その人だけを群衆の中から連れ出し、その両耳に指を差し入れ、それからつばきをして、その人の舌にさわられた。そして、天を見上げ、深く嘆息して、その人に「エパタ。」すなわち、「開け。」と言われた。すると彼の耳が開き、舌のもつれもすぐに解け、はっきりと話せるようになった。(マルコの福音書7:32~7:35)』
ここで言われている「彼ら」とは、一体誰たちのことであろうか。耳が聞こえず、口のきけない人であるのか。新約聖書はギリシャ語で書かれている。ギリシャ語は、単数と複数がはっきりと分かるようになっている。新改訳は、誤解を招くような訳文であるが、新共同訳の方が、はっきりと分りやすい。
7:36 イエスは人々に、誰にもこのことを話してはいけない、と口止めをされた。しかし、イエスが口止めをされればされるほど、人々はかえってますます言い広めた。
7:37 そして、すっかり驚いて言った。「この方のなさったことはすべて、すばらしい。耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる。」(新共同訳・マルコの福音書7:36~7:37)
ここからも分かるように、彼らとは「人々」、つまり先ほどまで、耳が聞こえず口のきけなかった男の人を連れて来た群衆である。
ここで、主イエスは、なぜ人々に、「誰にも話してはいけない。」と、口止めをされたのか。
ここまで、主イエスは、多くの人々をいやされ、また悪霊を追い出されて来た。しかし主イエスに与えられた公生涯の期間は、三年半年である。もちろんこの定められた期間のことを、弟子たちは知らないし、また理解のほどを超えているとも言える。
おそらく、この時点では、もうすでに半分近くの日月数を使われたに違いない。残りの貴重な時間を、弟子訓練に費やすために、いやしや奇蹟や、悪霊追い出しのミニストリーを、制限する必要があったのではないだろうか。
もちろん主イエスひとりで、その働きをする必要はなく、すでに十二使徒には、その力を主イエスは分与されていたから、弟子たちに任せる時がやって来たとも言える。
またこれ以上、噂が噂を呼び、多くの群衆が駆けつけることになりかねないことをも考慮され、それゆえ口止めしたとも言える。
ただ、いやされた本人には、「誰にも言ってはならない。」と、言われたとは思えない。
なぜなら、彼は耳が聞こえず口がきけなかったから、その彼に話すなと言うことは無理である。用するに、「野次馬根性」の人々に釘をさされたのだ。
しかし、人間はやはり罪が深い。人々は、主イエスの言葉に聞き従うことをしなかった。
それどころか、「この方のなさったことは、みなすばらしい。つんぼを聞こえるようにし、おしを話せるようにしてくださった。」と、言いふらしたのである。
これは、良い働きあるいは良い証に、一見見えるような気もするが、結果的には、主イエスの働きをストップしてしまうこととなる。。
主イエスの本当の使命は、「十字架」である。主イエスは、この時から十字架に向けて、本格的に「メシヤ」「キリスト」として歩み始められた。
私たちは、主イエスの「十字架」を決して忘れてはならない。
『それから、イエスは弟子たちに言われた。「誰でもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。(マタイの福音書16:24)』》