◇◆◇日々のみ言葉
2015年11月11日(水)
◎聖書箇所 【マルコの福音書8章1節~3節】
8:1 そのころ、また大ぜいの人の群れが集まっていたが、食べる物がなかったので、イエスは弟子たちを呼んで言われた。
8:2 「かわいそうに、この群衆はもう三日間もわたしといっしょにいて、食べる物を持っていないのです。
8:3 空腹のまま家に帰らせたら、途中で動けなくなるでしょう。それに遠くから来ている人もいます。」
◎ショートメッセージ
《「その頃」とは、一体いつ頃の季節であろうか。
まず、主イエスの弟子たちへの言葉に注目して、この状況を詳しく考えて見ることにしよう。
主イエスは言われた。
「かわいそうに、この群衆はもう三日間もわたしといっしょにいて、食べる物を持っていないのです。」
主イエスと弟子たち一行は、どこの場所にいたのか。
その後、弟子たちは、主イエスにこう答えている。
『弟子たちは答えた。「こんなへんぴな所で、どこからパンを手に入れて、この人たちに十分食べさせることができましょう。」(マルコの福音書8:4)』
「へんぴな所」と言えば、町や村から離れた場所であることが分かる。しかもこの群衆は、主イエスの一行と三日間も一緒にいたと言うことである。
とすれば、主イエスも弟子たちも、そしてこの群衆も、二日間の夜には野宿したこととなる。当然主イエスも弟子たちも、野宿である。
それでは、この群衆は一体何をしに来たのであろうか。
主イエスの教えを聞きに、また病をいやしてもらう為に、また悪霊を追い出していただくためにやって来た。
どうやら7章における、耳が聞こえず、口のきけない人をいやしたことが原因のようだ。
『イエスは、このことをだれにも言ってはならない、と命じられたが、彼らは口止めされればされるほど、かえって言いふらした。人々は非常に驚いて言った。「この方のなさったことは、みなすばらしい。つんぼを聞こえるようにし、おしを話せるようにしてくださった。」(マルコの福音書7:36~7:37) 』
この人々の言いふらしたことによって、大勢の群衆が押し寄せた。男四千人と言われていることから、女と子どもをあわせたら、少なくとも一万人以上の人々であったと思われる。
マタイは、平行記事として、こう書き記している。
『それから、イエスはそこを去って、ガリラヤ湖の岸を行き、山に登って、そこにすわっておられた。すると、大ぜいの人の群れが、足なえ、不具者、盲人、おしの人、そのほかたくさんの人をみもとに連れて来た。そして、彼らをイエスの足もとに置いたので、イエスは彼らをおいやしになった。それで、群衆は、おしがものを言い、不具者が直り、足なえが歩き、盲人が見えるようになったのを見て、驚いた。そして、彼らはイスラエルの神をあがめた。『(マタイの福音書15:29~15:31)』
彼らが、主イエスの御もとにやって来た時には、食料も水も、ある程度は持参して来たはずである。ところがこの三日間の間に、食べ尽くし、また飲み終わってしまったようだ。
おそらく主イエスは、彼らの持って来た食料が尽きたことを察しした、と思われる。
それゆえ、このように言われたのである。
「かわいそうに、この群衆はもう三日間もわたしといっしょにいて、食べる物を持っていないのです。空腹のまま家に帰らせたら、途中で動けなくなるでしょう。それに遠くから来ている人もいます。」
4つの福音書のすべてに記載されている奇蹟「五千人の給食」の時には、弟子たちの方から主イエスに、群衆の食べる物について心配して提案したのであるが、今回の「四千人の給食」では、主イエスの方から、弟子たちを呼んで、群衆の食べる物について心配されて、弟子たちに提案されたのであった。
しかも、「遠くから来ている人」もいると言う。なぜ主イエスは、そのことが分かっておられたのであろうか。このことを取っても、まさしく神であられることの証明である。
主イエスだけは、これから何が起こるのか、また何をするべきかをご存じであった。しかし、弟子たちの目には、現実しか見えておらず、途方に暮れていたのである。》