※本日の聖書箇所「ルカの福音書10章38節~42節」(新約p.136下段真中)
10:38 さて、一行が進んで行くうちに、イエスはある村に入られた。すると、マルタという女の人がイエスを家に迎え入れた。
10:39 彼女にはマリアという姉妹がいたが、主の足もとに座って、主の言葉に聞き入っていた。
10:40 ところが、マルタはいろいろなもてなしのために心が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。私の姉妹が私だけにもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのですか。私の手伝いをするように、おっしゃって下さい。」
10:41 主は答えられた。「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。
10:42 しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。」
◎メッセージ【マルタとマリア】
《この記事は、ルカにしか書かれてはいません。「ある村」とは、ベタニアのことです。
しかし、共観福音書には、マルタとマリアがベテニアに住んでいたことと、主イエスよってよみがえった弟ラザロについて詳しく書かれているのはヨハネの福音書だけなのです。
聖書ではないのですが、バチカンの図書館にあります「一世紀の公的記録」という巻物には、主イエスが公生涯を始める前から、マルタとマリアとその弟ラザロとは、親しい友人関係であったことが書かれています。それによりますと、妹マリアは、以前から主イエスの話を聞くことが大好きであったことが分かります。
さて、マリアは、主イエスの足もとに座って、主の言葉に聞き入っていました。おそらく、最初はマルタとマリアは、一緒に主イエス一行をもてなそうとして、様々な料理を用意していたに違いありません。
そうこうしているうちに、主イエスが話し始めますと、マリアはマルタの手伝いを止めて、主の御許に行ってしまったのです。その有様を見たマルタは心が落ち着かず、主イエスの所にやって来て言うのです。
「主よ。私の姉妹が私だけにもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのですか。私の手伝いをするように、おっしゃって下さい。」
ここで、マルタは不満をぶちまけます。主イエスの話を聞きに行ってしまったマリアに原因があるのですが、怒りの矛先が、主イエスに向けられたのです。すると主は、「マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。」と答えます。
ここで、主イエスは「思い煩う」ことについて、教えています。私たちは思い煩う者なのです。シモン・ペテロは、
『あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配して下さるからです。』と、彼の経験上から、私たちに勧めています。
「しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。」
ここでのマリアの態度は、尾山令仁先生によれば、「礼拝」と言うことです。それゆえ、彼女は主の足下にひざまずき、熱心に御言葉に聞き入っていたのです。
私たちが、まず最も優先するべきことは、礼拝なのです。すなわち、主の御許にひざまずき、神の言葉に耳を傾け、聞き従うことなのです。これが、一番大切なことだと主はマルタを通して、私たちに教えておられるのです。》