• 日々のみ言葉 2015年12月6日(日)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2015年12月6日(日)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書8章37節】
    8:37 「自分のいのちを買い戻すために、人はいったい何を差し出すことができるでしょう。」

    ◎ショートメッセージ
    《聖書は、はっきりとこう述べている。

    『人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、(ヘブル人への手紙9:27)』と。

     私たち人間は生まれた時から、死に向かって歩み始める。そして、誰にでも、やがて老いが訪れ、死がやって来る。
     残念ながら長寿を全う出来ずに、若くして死んで行く者もいる。人々は、それを寿命とも呼んでいる。

     しかし、本当に、最初から私たちは、死ぬ運命にあったのだろうか。私たち人間が父なる神によって創造された時、その時から、私たちは死ぬことが定められていたのだろうか。

     聖書はこう言っている。
    『 神である主は、人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。
    神である主は、人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」(創世記2:15~2:17)』

     最初から、私たちには死はなかったことが、分かる。
     そして私たちの祖先である最初の人アダムとエバが、神の命令に背き、「善悪の知識の木」から、その実を取って食べたことを、私たちは知っている。
     その結果として、まさしく神が言われた通り、死が入って来たのである。この死は、単なる肉体の死だけを意味するのではない。霊的にも死ぬことを意味する。私たちの本当の存在は霊である。その霊は、生まれた時から死んだ状態で生まれて来るのだ。

     主イエスは言われた。
    「自分のいのちを買い戻すために、人はいったい何を差し出すことができるでしょう。」

     主イエスが言われた「いのち」とは、アダムとエバの犯した罪の結果、私たちの肉体のいのちだけを表わすのではなく、霊的いのちをも含んでいるのである。

     私たちの肉体に死が訪れた時、その死から命へと買い戻すことは、出来ない。人に死が訪れたのなら、例えどんな名医であっても、なすすべはない。

     しかし、死を打ち破ったお方がいるのである。よみがえられて、今も生きておられるお方がいるのである。
     そのお方が、十字架に架かられ、ご自身の命と尊い血潮によって、私たちの命を買い戻してくださったのだ。
     そのお方は、私たちが本来持っていたはずの、そうだ、アダムとエバが「善悪の知識の実」を取って食べる前に持っていたはずの「永遠のいのち」を買い戻してくださったのだ。
     そのお方こそ、主イエス・キリスト。
    今世界中において、そのお方の誕生月を迎え、盛大なお祝いがなされている。メリー・クリスマス。》

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