◇◆◇日々のみ言葉
2015年12月13日(日)
◎聖書箇所 【マルコの福音書9章7節】
9:7 そのとき雲がわき起こってその人々をおおい、雲の中から、「これは、わたしの愛する子である。彼の言うことを聞きなさい。」という声がした。
◎ショートメッセージ
『それから六日たって、イエスは、ペテロとヤコブとヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。そして彼らの目の前で御姿が変わった。
その御衣は、非常に白く光り、世のさらし屋では、とてもできないほどの白さであった。
また、エリヤが、モーセとともに現われ、彼らはイエスと語り合っていた。
すると、ペテロが口出ししてイエスに言った。「先生。私たちがここにいることは、すばらしいことです。私たちが、幕屋を三つ造ります。あなたのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ。」
実のところ、ペテロは言うべきことがわからなかったのである。彼らは恐怖に打たれたのであった。(マルコの福音書9:2~9:6)』
その時である。雲がわき起こってその人々をおおい、と書かれている。これは聖霊なるお方である、と言っても良い。
そして、雲の中から声が聞こえて来た。
「これは、わたしの愛する子である。彼の言うことを聞きなさい。」
この声は、誰に対して発せられたのであろうか。
エリヤとモーセにであろうか。
いや、この声は、三人の弟子たちに、すなわちペテロとヤコブとヨハネに対して、父なる神が発せられたのである。
彼らは、確かに神の声を聞いたのだ。
ペテロは、その手紙においてこう書き記している。
『私たちは、あなたがたに、私たちの主イエス・キリストの力と来臨とを知らせましたが、それは、うまく考え出した作り話に従ったのではありません。この私たちは、キリストの威光の目撃者なのです。
キリストが父なる神から誉れと栄光をお受けになったとき、おごそかな、栄光の神から、こういう御声がかかりました。「これはわたしの愛する子、わたしの喜ぶ者である。」
私たちは聖なる山で主イエスとともにいたので、天からかかったこの御声を、自分自身で聞いたのです。(第二ペテロマルコの手紙1:16~1:18)』
「彼の言うことを聞きなさい。」
この言葉は、三人の弟子たちに対してだけではなく、私たちに対しても、父なる神は仰せられる。
主イエスの言葉を聞く。それは単に耳に聞くのではなく、聞き従うことである。
主イエスに聞き従う者にこそ、約束の冠が与えられるのである。
「これはわたしの愛する子、わたしの喜ぶ者である。」
この言葉は、創造主なる神が、主イエスを我が子であると、弟子たちに宣言されたのである。
かつて、これと同じ言葉を、バプテスマのヨハネが聞いたのである。それは主イエスが、ヨハネから洗礼を受け、御霊が鳩のように降った時である。その時には、おそらくペテロの弟のアンデレと、ゼベタイの子ヤコブの弟ヨハネが、居合わせていたはずである。
もしかしたら、アンデレとヨハネも、その声を聞いたかも知れない。とすれば、何とヨハネは、二度にわたって、父なる神の声を、直にその耳で聞いたことになる。
しかし、主イエスは、間違いなく神の子であられる。
とすれば、三年半にわたる公生涯において、主イエスと共に過ごした弟子たちは、いつも、そう何時でも、主イエスの声を、神の声を聞いていたのである。いや聞いたのだ。
今も、私たちは神の声を聞くことが出来る。
主イエスの語られた言葉は、聖書に記されている。主イエスが言われたその言葉を口に出して自分自身で言うならば、あなたは神の声を、直に、あなたのその耳で、聞くことになる。
それだけではない。
もし、あなたが静まり、あなたの中に住んでおられる聖霊なるお方の声に耳を傾けるのなら、あなたはあなたの霊において、神の声を聞くことが出来る。》