◇◆◇日々のみ言葉
2015年12月29日(火)
◎聖書箇所 【マルコの福音書9章26節~27節】
9:26 するとその霊は、叫び声をあげ、その子を激しくひきつけさせて、出て行った。するとその子が死人のようになったので、多くの人々は、「この子は死んでしまった。」と言った。
9:27 しかし、イエスは、彼の手を取って起こされた。するとその子は立ち上がった。
◎ショートメッセージ
『主イエスは、汚れた霊をしかって言われた。
「おしとつんぼの霊。わたしが、おまえに命じる。この子から出て行きなさい。二度と、はいってはいけない。」
主イエスと、悪霊の対決である。しかも、この霊は、悪霊の中でも、かなりの高い位にある霊であった。
しかし、そうであったとしても絶対権威者の命令には、従う他はない。創造された物が、創造主なるお方に逆らえるわけもない。
そうなのだ。主イエスは、まことの神であられるのだ。創造主なるお方が、人となられたのである。神が人となってくださった。神が、ご自身が創造された創造物にまで、その身を低くして下さったのである。
しかし、このお方は、全地全能のお方なのである。
この霊は、「死の霊」でもあった。それゆえ最後の抵抗を見せたのである。
「叫び声をあげた」とは、その子の声帯を用いて悪霊が叫んだのである。そして、その子を激しくひきつけさせて、ついに出て行った。
するとその子が死人のようになったので、多くの人々は、「この子は死んでしまった。」と言った。
尾山令仁先生は、「この時、その子は死んだ」と解釈している。
そしてヤイロの娘の時と同じように主イエスは、なされるのである。
すなわち、手をとられるのだ。
『人々はみな、娘のために泣き悲しんでいた。しかし、イエスは言われた。「泣かなくてもよい。死んだのではない。眠っているのです。」
人々は、娘が死んだことを知っていたので、イエスをあざ笑っていた。しかしイエスは、娘の手を取って、叫んで言われた。「子どもよ。起きなさい。」
すると、娘の霊が戻って、娘はただちに起き上がった。それでイエスは、娘に食事をさせるように言いつけられた。(ルカの福音書8:52~8:55)』
イエスは、彼の手を取って起こされた。するとその子は立ち上がった。
この息子の父親は、一体どのくらいの期間、この悪霊の問題に苦しんでいたのだろうか。
しかし、ついにそこに「メシヤ」なるお方が来て下さったのである。そしてそのお方が栄光を現わされたのだ。息子は癒やされたのである。解放されたのだ。
どんな問題であったとしても、主イエスに解決出来ない問題などは存在しない。大切なことは、主イエスの訪れを、すなわち神の時を待てるかどうかである。
神は、遅くなることも早くなることもない。まさに「神の時は、時にかなって美しい」のである。》