◇◆◇日々のみ言葉
2016年5月2日(月)
◎聖書箇所 【マルコの福音書14章6節】
14:6 すると、イエスは言われた。「そのままにしておきなさい。なぜこの人を困らせるのですか。私のために、りっぱなことをしてくれたのです。」
◎ショートメッセージ
《引き続き、マルタの妹マリヤの行ないについて学びます。
『イエスがベタニヤで、らい病人シモンの家におられたとき、食卓についておられると、ひとりの女が、純粋で、非常に高価なナルド油のはいった石膏のつぼを持って来て、そのつぼを割り、イエスの頭に注いだ。すると、何人かの者が憤慨して互いに言った。「何のために、香油をこんなにむだにしたのか。この香油なら、三百デナリ以上に売れて、貧乏な人たちに施しができたのに。」そうして、その女をきびしく責めた。『(マルコの福音書14:3~14:5)』
この記事は、マタイの福音書とヨハネの福音書にも平行記事として記載されています。マタイとマルコの福音書には、「ひとりの女」となっていますが、ヨハネは、ベタニヤに住むマルタの妹マリヤであって、そこにはイエス様が、死から蘇らせた弟ラザロも一緒にいたことを書き加えています。
ルカだけは、この場面に触れていません。しかし、ルカはある似たような出来事を掲載しているのです。ルカの福音書によれば、
『さて、あるパリサイ人が、いっしょに食事をしたい、とイエスを招いたので、そのパリサイ人の家にはいって食卓に着かれた。すると、その町にひとりの罪深い女がいて、イエスがパリサイ人の家で食卓に着いておられることを知り、香油のはいった石膏のつぼを持って来て、泣きながら、イエスのうしろで御足のそばに立ち、涙で御足をぬらし始め、髪の毛でぬぐい、御足に口づけして、香油を塗った。
イエスを招いたパリサイ人は、これを見て、「この方がもし預言者なら、自分にさわっている女がだれで、どんな女であるか知っておられるはずだ。この女は罪深い者なのだから。」と心ひそかに思っていた。
するとイエスは、彼に向かって、「シモン。あなたに言いたいことがあります。」と言われた。シモンは、「先生。お話しください。」と言った。
「ある金貸しから、ふたりの者が金を借りていた。ひとりは五百デナリ、ほかのひとりは五十デナリ借りていた。彼らは返すことができなかったので、金貸しはふたりとも赦してやった。では、ふたりのうちどちらがよけいに金貸しを愛するようになるでしょうか。」
シモンが、「よけいに赦してもらったほうだと思います。」と答えると、イエスは、「あなたの判断は当たっています。」と言われた。
そしてその女のほうを向いて、シモンに言われた。「この女を見ましたか。私がこの家にはいって来たとき、あなたは足を洗う水をくれなかったが、この女は、涙で私の足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれました。あなたは、口づけしてくれなかったが、この女は、私がはいって来たときから足に口づけしてやめませんでした。あなたは、私の頭に油を塗ってくれなかったが、この女は、私の足に香油を塗ってくれました。だから、私は言うのです。『この女の多くの罪は赦されています。というのは、彼女はよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。』」
そして女に、「あなたの罪は赦されています。」と言われた。すると、いっしょに食卓にいた人たちは、心の中でこう言い始めた。「罪を赦したりするこの人は、いったいだれだろう。」しかし、イエスは女に言われた。「あなたの信仰が、あなたを救ったのです。安心して行きなさい。」(ルカの福音書7:36~7:50)』となっています。
私は、今までに何度か、この記事をマタイとヨハネに書かれている記事と、同じ平行記事として語られたメッセージを聞いています。
尾山令仁先生は、はっきりと断言しています。ルカの記事と、マタイとヨハネによる記事は全く別な出来事であると。
マリヤは、イエス様の頭から香油を注ぎましたが、ルカにおける「ひとりの女」は、イエス様の足に香油を注いだのです。》