◇◆◇日々のみ言葉
2016年5月5日(木)
◎聖書箇所 【マルコの福音書14章8節】
14:8「この女は、自分にできることをしたのです。埋葬の用意にと、私のからだに、前もって油を塗ってくれたのです。」
◎ショートメッセージ
《主イエス様は、受難週には、ベタニヤの姉妹マルタとマリヤ、そしてご自身が愛してやまない、二人の姉妹の弟ラザロの家に寝泊まりなされました。そして朝早くに弟子たちを伴い、そこからエルサレムの神殿に通われました。
聖金曜日と言われていますその日においても、ベタニヤに戻ろうとする際に、ゲッセネマの園において、血の汗を流しながら祈られた後、捕らえられることになります。
もちろん、その日には、もうベタニヤに戻れないことを、主イエス様は、すでに霊においてご存じであったと思われます。
さて花嫁道具であった、純粋で非常に高価なナルド油のはいった石膏のつぼを持って来て、そのつぼを割り、イエス様の頭に注いだマリヤを弟子たちが厳しく責めた、とマルコは書き記しています。
「何のために、香油をこんなにむだにしたのか。この香油なら、三百デナリ以上に売れて、貧乏な人たちに施しができたのに。」
一デナリは、当時の労働者が一日働いて得ることの出来る賃金でした。その三百日分に相当する三百デナリ以上の価値のある「ナルドの香油」、それを全部イエス様にふり注いだのですから、弟子たちの憤慨は相当なものだったはずです。
彼らの心には、「もったいない 」の一言しか思い浮かばなかったに違いありません。
今でもどうでしょうか。もし私たちの目の前で、同じような光景が描かれたとしたら。
それこそ、一日の賃金を一万円と仮定したとしたら、何と三百万円にもなるのです。
誰でも「もったいないなあ」と思わないでしょうか。きっと私などは、いち早くそう思って、叫んでしまうに違いありません。
「何てことをするんだ。もったいないじゃないか」と。
本当にそうでしょうか。このお方が私の罪のために、私の受けるべきすべての裁きをその身に受け、血を流され、身代わりとして死んで行かれることになるのです。
その代価として、私が支払うとしたら、一体何を差し出せば良いのでしょうか。
「この女は、自分にできることをしたのです。埋葬の用意にと、私のからだに、前もって油を塗ってくれたのです。」
「マリヤは、出来ることをした」と、イエス様は言われます。
それでは、私が出来ることは何なのでしょうか。マリヤには、主イエス様を「埋葬」する準備としての行ないが与えられました。
私には、いや私たち一人一人には、マリヤのように、イエス様の為に出来ることが、きっとあるはずなのです。いいえ。もっとはっきり言うならば、出来ることがすでに用意されていると、私は思うのです。
そしてイエス様もそれを望まれ、それをすることを大いに期待され、待ち望んでおられるのです。》