• 日々のみ言葉 2016年5月9日(月)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2016年5月9日(月)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書14章10節~11節】
    14:10 ところで、イスカリオテ・ユダは、十二弟子のひとりであるが、イエスを売ろうとして祭司長たちのところへ出向いて行った。
    14:11 彼らはこれを聞いて喜んで、金をやろうと約束した。そこでユダは、どうしたら、うまいぐあいにイエスを引き渡せるかと、ねらっていた。

    ◎ショートメッセージ
    《引き続き、イスカリオテ・ユダのことについて考えて見たいと思います。
     まず、イスカリオテ・ユダは、いったい何時、祭司長の所に出向いたのでしょうか。祭司長がいる場所と言えば、当然エルサレム市内であり、神殿の近くであった可能性は高いはずです。そこへ、なぜユダだけが、イエス様と他の使徒たちから離れて、一人で行動することが出来たのでしょうか。
     そのヒントは、ヨハネが福音書に書き記しています。

    『イエスは過越の祭りの六日前にベタニヤに来られた。そこには、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロがいた。人々はイエスのために、そこに晩餐を用意した。そしてマルタは給仕していた。ラザロは、イエスとともに食卓に着いている人々の中に混じっていた。
     マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった。家は香油のかおりでいっぱいになった。
     ところが、弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしているイスカリオテ・ユダが言った。「なぜ、この香油を三百デナリに売って、貧しい人々に施さなかったのか。」
     しかしこう言ったのは、彼が貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼は盗人であって、金入れを預かっていたが、その中に収められたものを、いつも盗んでいたからである。(ヨハネの福音書12:1~12:6)』

     もう一箇所、ヨハネはこう書き記しています。

    『イエスは答えられた。「それはわたしがパン切れを浸して与える者です。」それからイエスは、パン切れを浸し、取って、イスカリオテ・シモンの子ユダにお与えになった。
     彼がパン切れを受けると、そのとき、サタンが彼にはいった。そこで、イエスは彼に言われた。「あなたがしようとしていることを、今すぐしなさい。」
     席に着いている者で、イエスが何のためにユダにそう言われたのか知っている者は、だれもなかった。ユダが金入れを持っていたので、イエスが彼に、「祭りのために入用の物を買え。」と言われたのだとか、または、貧しい人々に何か施しをするように言われたのだとか思った者も中にはいた。ユダは、パン切れを受けるとすぐ、外に出て行った。すでに夜であった。(ヨハネの福音書13:26~13:30)』

     ユダは「金入れ」を預かっていたのです。そして何か必要な物を買うことも彼の仕事であったようです。だからこそ、ユダがひとりで行動したとしても、他の使徒たちは何も気にも留めなかったのです。ユダだけが、怪しまれずに行動出来たのです。

     祭司長たちは、ユダに金を渡します。
     マタイの福音書によれば、
    『そのとき、十二弟子のひとりで、イスカリオテ・ユダという者が、祭司長たちのところへ行って、こう言った。「彼をあなたがたに売るとしたら、いったいいくらくれますか。」すると、彼らは銀貨三十枚を彼に支払った。(マタイの福音書26:14~26:15)』
    と、なっています。これは、ゼカリヤ書の預言の成就なのです。

    『私は彼らに言った。「あなたがたがよいと思うなら、私に賃金を払いなさい。もし、そうでないなら、やめなさい。」すると彼らは、私の賃金として、銀三十シェケルを量った。主は私に仰せられた。「彼らによってわたしが値積もりされた尊い価を、陶器師に投げ与えよ。」そこで、私は銀三十を取り、それを主の宮の陶器師に投げ与えた。(ゼカリヤ書11:12~11:13)』

     主イエス様が値積りされた銀貨三十シェケルは、出エジプト記に書かれた奴隷一人分の命の値段です。
     神の御子であられるイエス様は、人間としては認めてもらえない、奴隷一人分の銀貨で売られたのです。》

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