◇◆◇日々のみ言葉
2016年5月28日(土)
◎聖書箇所 【マルコの福音書14章34節】
14:34 そして彼らに言われた。「私は悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、目をさましていなさい。」
◎ショートメッセージ
《主イエス様は、「過越の祭」の六日前に、エルサレムの近くの村ベタニヤに来ました。そこには、イエス様が愛された姉弟であるマルタとマリヤ、そしてよみがえったラザロが住んでいたからです。
イエス様は、週の初めの日である日曜日に、ろばの子に乗ってエルサレムに入場しました。そして「過越の祭」の始まる前日まで、ベタニヤとエルサレム市内を往復したのです。その道の途中に「ゲッセネマの園」があったのです。イエス様は、エルサレムに行く時、またはベタニヤに戻る時に、いつもそこで一人で祈られたのです。
しかしこの時には、イエス様は、弟子の中でも特別に用いたペテロとゼベタイの子ヤコブとヨハネを、祈る場所に一緒に連れて行ったのです。この三人とペテロの弟アンデレは、最も早くイエス様の弟子になった者たちです。
また四つの福音書を総合して見ますと、どうやらヤコブとヨハネは、イエス様の従兄弟に当たるようです。しかも彼らの母は、イエス様の母マリヤの妹であり、名をサロメと言うことが分かります。
私は一つの疑問がありました。イエス様は、いつも何か特別なことがある時に、ペテロとヤコブとヨハネの三人を連れて行きますが、なぜシモン・ペテロの弟アンデレを残して行くのかと。
これは、残された九人の使徒たち、そして他の弟子たちの責任者として、アンデレをあえて残したのではないかと思うのです。イエス様と三人の側近の弟子たちが戻って来た時に、すぐに何があったのか、兄のペテロに報告をすることが出来ましたし、またペテロも、弟アンデレを信頼していたと思うのです。
ペテロだけでなく、主イエス様も、ヨハネと一緒に最初の弟子になったアンデレを、心から信頼していたからこそ、残りの弟子たちを任せて行くことが出来たのではないか、と私は考えるのです。
イエス様は深く恐れもだえ始め、そして彼らに言われました。
「私は悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、目をさましていなさい。」
この場面は、一見悲壮な場面と思われるのですが、私は嬉しくなってしまう場面でもあります。なぜなら、神の御子であられる主イエス様が、何と人間の慰め、助けを必要としているからなのです。
この時、イエス様は、ペテロとヤコブとヨハネに、共に一緒に祈ってほしい、そして一緒に目を覚ましていてほしい、と願っているのです。こんなに嬉しいことがあるでしょうか。
全地全能なるお方が、この宇宙のすべてを創造されたお方が、非創造物である人間に、助けを求めているのです。
このことから、私たちには、イエス様のために出来ることがある、と言うことが分かります。イエス様のために、何かすることがあるのです。神様は、私たちの助けを必要としておられるのです。
私たちはそれぞれ違う人格を持ち、また違った賜物が与えられています。ひとりひとりに与えられた賜物や、出来ることを通して、イエス様のお役に立つことを、いつも求めて行きましょう。》