◇◆◇日々のみ言葉
2016年5月30日(月)
◎聖書箇所 【マルコの福音書14章37節~38節】
14:37 それから、イエスは戻って来て、彼らの眠っているのを見つけ、ペテロに言われた。「シモン。眠っているのか。一時間でも目をさましていることができなかったのか。
14:38 誘惑に陥らないように、目をさまして、祈り続けなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」
◎ショートメッセージ
《「過越の食事」を終えた主イエス様は、ゲツセマネという所に来ました。そして弟子たちに言われまし。「私が祈る間、ここにすわっていなさい。」
それから、ペテロとゼベタイの子ヤコブとヨハネを、園の奥の方へ連れて行きました。残された弟子たちからは、石を投げれば届く距離であったようです。
イエス様は、恐れもだえ始め、三人の弟子たちに言いました。
「私は悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、目をさましていなさい。」
それから、約一時間ほど経ってから、イエス様は三人の弟子たちの所に戻って来ました。そして彼らの眠っているのを見つけ、ペテロを揺り動かして起こしたのです。
「シモン。眠っているのか。一時間でも目をさましていることができなかったのか。誘惑に陥らないように、目をさまして、祈り続けなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」
その声で、同じく眠っていたヤコブとヨハネも、目をこすりながら起きたに違いありません。
聖金曜日と呼ばれる新しいユダヤの一日が始まってから、かれこれ6時間以上が過ぎたでしょうか。いつもならベタニヤのマルタとマリヤと弟ラザロの家で、暖かい持て成しを受けて、心地よく眠っている時間なのですが、今宵は何故か、イエス様はベタニヤに戻る気がないようなのです。
きっと何度も、ペテロをはじめ弟子たちは、イエス様に、「もう遅くなりましたから、ベタニヤに戻って休みましょう。」と、勧めたに違いありません。ついにくたびれ果て待ちきれず、眠ってしまったと言うわけです。
当時のユダヤ人は、何時でも何処でも野宿出来るように、羊毛で出来た分厚い上着を持っていました。昼は暑さと日差しから、夜は寒さと露から身を守ってくれる物で、まさに財産であったのです。
それゆえ律法では、金貸しに、『担保で上着を出した人には、夕方には、その上着を返しなさい。』と、命じているくらいです。
さて、イエス様の言われたことはどのような意味でしょうか。
私たちの体には、睡眠と休息が絶対に必要です。コンビニエンスストアのように、24時間続けて「目をさましている」ことは、不可能です。
イエス様が言われたことは、私たちの本当の存在である「霊」に対してなのです。イエス様は、まことの人間でした。それゆえイエス様も、休息と睡眠が必要であったことは言うまでもありません。
しかし、その肉体の中に住んでいる「イエス様」と言うひとり子の神の霊は、不眠不休です。まさしく神はまどろむこともなく眠ることもないのです。
もし私たちの「霊」が眠ってしまっていたとしたら、悪魔からの誘惑や攻撃に対して無防備状態であることを意味します。それゆえ、何時も「霊」は目醒めている必要があります。
クリスチャンが眠っている時には、「たましい」と「肉体」は休んでいますが、「霊」は目醒めています。「霊」が目醒めている証拠に、神様は多くのことを「夢」を通して教えられます。私たちは眠っていたとしても、目を覚ましている者なのです。》