• 日々のみ言葉 2016年6月2日(木)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2016年6月2日(木)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書14章41節~42節】
    14:41 イエスは三度目に来て、彼らに言われた。「まだ眠って休んでいるのですか。もう十分です。時が来ました。見なさい。人の子は罪人たちの手に渡されます。
    14:42 立ちなさい。さあ、行くのです。見なさい。私を裏切る者が近づきました。」

    ◎ショートメッセージ
    《「ゲツセマネの園」におけるイエス様と父なる神様の話し合いとも言える祈りは、三度にわたって行なわれましたが、ついにイエス様は、ご自分の意思を父なる神様にゆだねられ、「十字架」にかかる決心をなされました。「ひとりの人間」として。

     罪を犯したことのないお方が、私たち人間のすべての罪の身代わりとして、すべての人の裁きを一身に受けられることを、承諾し、決意されたのです。
     イエス様は、まことに創造主なる神様です。しかしこの時には、本当に私たちと同じ人間であられたのです。
    「神が人となってくださった。」この真理は、私たちの理解を遙かに超えていて、人間には、ただ素直に受け入れ、そして信じることしかありません。

     ペテロとゼベタイの子ヤコブとヨハネの所に戻って来たイエス様は、三度目にも彼らを起こしました。

    「まだ眠って休んでいるのですか。もう十分です。時が来ました。見なさい。人の子は罪人たちの手に渡されます。立ちなさい。さあ、行くのです。見なさい。私を裏切る者が近づきました。」

    「もう十分です。」と言うことは、三人の弟子たちに、「もう十分休んだでしょう。良く眠れたでしょう。」と言う意味ではなく、主イエス様の「公生涯」の時が、満ちたことを意味しています。つまり「キリスト」としての御わざの働きを終えたことを指し示しています。

     「見なさい」と、イエス様は二度言われます。一度目の時には、オリーブ山の麓の方から、多くのたいまつと、人々のざわめきや足音が近づいて来た時に言われました。
     三人の側近の弟子以外の弟子たちも、何か異変が起きたことを察し、起き上がったはずです。
     そして二度目に「見なさい」と言われた時に、弟子たちの目は、その群衆を引き連れて先頭に立つ、ひとりの人物に向けられます。

    「私を裏切る者が近づきました。」

     この時に初めて、十一人の使徒たちは、それまでイスカリオテのユダがいなかったことに気づき、また裏切り者が誰であるのか知るのです。

     群衆とは、パリサイ人や律法学者たちと役人に加えて、ローマ兵が送られて来ました。

    『そこで、ユダは一隊の兵士と、祭司長、パリサイ人たちから送られた役人たちを引き連れて、ともしびとたいまつと武器を持って、そこに来た。(ヨハネの福音18:3 )』

     この大群衆を見た時、今まで忠実にイエス様に付き従って来た弟子たちは、逃げ出してしまいます。ついに、主イエス様の、「十字架の苦難の道」が始まりました。》

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