◇◆◇日々のみ言葉
2016年6月20日(月)
◎聖書箇所 【マルコの福音書14章65節】
14:65 そうして、ある人々は、イエスにつばきをかけ、御顔をおおい、こぶしでなぐりつけ、「言い当てて見ろ。」などと言ったりし始めた。また、役人たちは、イエスを受け取って、平手で打った。
◎ショートメッセージ
《イエス様の裁判は、四つの福音書を総合しますと、宗教的裁判が三回、政治的(世俗的)裁判が三回、合計六回の裁判が行なわれたことが分かります。
宗教的裁判は、まず始めに、前大祭司でありその時の大祭司カヤパの舅(しゅうと)であるアンナスにおける裁判、そして次にアンナスの婿である大祭司カヤパにおける裁判、そして夜が明けてから、民の長老たち、祭司長、律法学者たちが集まって行なわれた、ユダヤ全議会での裁判、この三つを指し示します。
次に政治的裁判とは、まず始めにポンテオ・ピラトによる第一回目の法廷における裁判、次に、「過越の祭」の為に、その時エルサレムに在中していたガリラヤ国主ヘロデ・アンティパスにおける裁判、そして再びピラトの所に戻され、バラバか、あるいはユダヤ人の王(イエス様)のどちらを釈放するのかが争われた、ピラトにおける第二回目の裁判の三つを指し示します。
この場面は、二つの宗教的裁判が行なわれた後のことであると思われます。おそらく夜が明ける前まで、イエス様を別の場所もしくは牢獄に入れるために、引き連れて行く所であったと思われます。
ここにおいても、主イエス様の言われた預言が成就しました。この場面に遭遇していたのは、間違いなくヨハネとペテロの二人であったはずです。ただ若干、議会議員であるアリマタヤのヨセフとニコデモも、裁判に同席していた可能性は、残されています。
ニコデモは以前の議会において、主イエス様を守ろうとする立場でしたから、今回、同席が許されたかどうかは、少し疑問に思いますが、アリマタヤのヨセフが、イエス様の弟子であることを公にしたのは、イエス様のお体の埋葬の時ですので、この時点ではまだ正体が知られてはいないと思います。よってアリマタヤのヨセフは、この裁判をすべて目撃していたとも考えられるのです。
『「さあ、これから、私たちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは、人の子を死刑に定め、そして、異邦人に引き渡します。すると彼らはあざけり、つばきをかけ、むち打ち、ついに殺します。しかし、人の子は三日の後に、よみがえります。」(マルコの福音書10:33~10:34)』
ヨハネとペテロは、おそらく主イエス様の言われた言葉を思い出したに違いありません。この場面を目撃した彼らの心には、いったいどんな思いが打ち寄せたのでしょうか。
私は、ここに書かれたことに驚きを覚えます。彼らは、イエス様の顔を布か何かで覆い、そして「誰が打ったのか言い当てて見ろ」と言って、こぶしや平手で殴ったと言うのです。イエス様は、すべてをご存知であられます。誰がつばきをかけたのか、誰がこぶしで殴ったのか、誰が平手で打ったのかを、全部知っておられます。
かつての私は、そちら側にいました。つばきをかけ、こぶしで殴り、平手でイエス様を打ったのは、他でもありません。私なのです。でも今の私は違うのです。今の私は、イエス様の十字架の御元にひれ伏し、復活された主イエス様によって、両手をしっかりと握られた者なのです。そして罪赦され、永遠のいのちが与えられているのです。》