• 日々のみ言葉 2016年8月17日(水)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2016年8月17日(水)

    ◎聖書箇所 【ルカの福音書1章5節~6節】
    1:5 ユダヤの王ヘロデの時に、アビヤの組の者でザカリヤという祭司がいた。彼の妻はアロンの子孫で、名をエリサベツといった。
    1:6 ふたりとも、神の御前に正しく、主のすべての戒めと定めを落度なく踏み行なっていた。

    ◎ショートメッセージ
    《ユダヤの王とは、悪名高きヘロデ大王のことです。ルカは主イエス様が生まれる前に、その従兄弟にあたるバプテスマのヨハネの誕生について、詳細に調べ上げ、書き記しています。
     主の母マリヤとゼカリヤの妻エリサベツは従姉妹にあたります。これは、おそらく血のつながっている従姉妹であり、とすれば、主の母マリヤもアロンの子孫にあたる可能性が高いと思われるます。後ほどルカは、主の母マリヤの父方の系図を辿るのですが、主の母マリヤの母にあたるアンナ(カトリックでは聖アンナと呼ばれ聖人とされている)の方が、アロンの家系にあたるかも知れません。

     さて、ここからバプテスマのヨハネの父と母が誰であったのか、私たちは知ることが出来ます。父親はアビヤの組の祭司ゼカリヤであり、母親はエリサベツです。
     このふたりとも、神様の御前の正しくあったと言うことは、モーセ五書に書かれた律法と、パリサイ人や律法学者たちが定めた口伝律法の両方とも熱心に守っていたことが分かります。

     もし今風に言うならば、さしずめ毎日曜日には、教会の礼拝に休まず出席し、十分の一献金を忠実に納め、また祈祷会その他の集会にも出席し、教会生活を第一とした模範的なクリスチャンといった所でしょうか。

     しかし、この二人にも問題がなかったのではありません。実は大きな問題を抱えていたのです。なぜなら祭司職は世襲制だったからです。彼らには、跡を継ぐ子供がいなかったのです。

     人は、何か問題があったとしても、それを隠したがります。まるで何も問題のないかのようにふるまうのです。と言うことは、私たちは二面性を持っていると言えるのかも知れません。たとえどんなに笑顔を振る舞える人であっても、その心は泣いているかも知れないのです。

     多くの人は、「誰も自分を分かってくれない。」と嘆きます。自分を理解してくれる人が、どうしても必要なのです。人は一人では生きて行くことは出来ません。なぜならそのように神様が創造されたからです。人には、自分と向き合ってくれる人格が必要なのです。

     主イエス様は、まことの神様であられますが、天に上られ神様の右の座につかれるまでは、まことの人であられました。よって私たちの弱さをすべてご存知でおられます。主イエス様は、人格を持っておられるお方でした。
     私たちには、このお方という救い主がいます。このお方は、私たちのすべてを分かってくださいます。理解してくださいます。受け止めてくださいます。大切なことはただ一つです。主イエス様の御前に、進み出ることなのです。

    『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、私のところに来なさい。私があなたがたを休ませてあげます。(マタイの福音書11:28)』》

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