◇◆◇日々のみ言葉
2016年8月21日(日)
◎聖書箇所 【ルカの福音書1章11節】
1:11 ところが、主の使いが彼に現われて、香壇の右に立った。
◎ショートメッセージ
《祭司ザカリヤは、自分のアビヤの組が当番で、神様の御前に祭司の務めをしていましたが、祭司職の習慣によって、くじを引いたところ、主の神殿の聖所にはいって香をたくことになりました。
これは、一生に一度あるかないかの光栄な務めであったのです。彼は、感激しながら、そして震えながら、神殿の中の聖所に入って行きました。
彼が香をたく間、残っていた祭司たちも、また大ぜいのユダヤの民も、みな、外で祈っていました。
ザカリヤが、手順を間違わなければ、やがて麗しく香ばしい香りが、神殿の中からただよって来て、あたり一面を包むことになっていたからです。
彼が、香をたこうとすると、何と主の使いが現われて、香壇の右に立ったと言うのです。
この場面を想像して見て下さい。今、神殿の聖所には、ザカリヤしかいないのです。他の民は、入ることはもちろん許されません。彼ひとりだけが、その場所に存在するはずでしたが、超自然的存在が突然、現われたのですから。
御使いは、「右」に立ちました。
これは、どういうことでしょうか。別に左でも良いではないでしょうか。いいえ。ここにも意味があるのです。右こそが、神の側なのです。主イエス様は、父なる神様の右の座に座しておられます。やはり右なのです。
とするならば、悪魔・悪霊どもは、左側に属し、左に現われるのかも知れません。
ザカリヤは、今目の前に現われた存在が、すぐに主の使い、すなわち御使いであることが分かりました。
当時のユダヤでは、現在と違い、御使いの現われが頻繁に起こっていたようです。
使徒ヨハネは、ベテスダの池について、このように書き記しています。
『さて、エルサレムには、羊の門の近くに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があって、五つの回廊がついていた。その中に大ぜいの病人、盲人、足なえ、やせ衰えた者が伏せっていた。[彼らは水の動くのを待っていた。主の使いが時々この池に降りて来て、水を動かすのであるが、水が動かされたあとで最初に入った者は、どのような病気にかかっていてもいやされたからである。](ヨハネの福音書5:2~5:4)』
実はこの[5章3節後半と4節]は、異本に書かれているものなのです。しかし、この節があると、もっと良くこの時の状況が把握出来ます。ベテスダの池は、御使いの現われる特別な場所であったようです。
御使いは、まさに幻ではなく、しっかりとザカリヤの目に見える状態で、その存在を現わしました。これは、間違いなく特別な内容を伝える為に、やって来たことを表わしています。》