◇◆◇日々のみ言葉
2016年8月23日(火)
◎聖書箇所 【ルカの福音書1章12節~13節】
1:12 これを見たザカリヤは不安を覚え、恐怖に襲われたが、
1:13 御使いは彼に言った。「こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。」
◎ショートメッセージ
《ザカリヤが、聖所に入って香壇に近づき、香をたこうとした所、主の使いが、突然現われて、香壇の右に立ったのです。
御使いの姿を見たザカリヤは不安を覚え、恐怖に襲われました。自分が間違いを犯したと思い、御使いによってさばかれるかも知れない、と言う恐怖に襲われたのです。
御使いガブリエルは彼に言いました。「こわがることはない。」
実は、この訳はあまり良い訳ではないのです。尾山令仁師の現代訳では、「恐れることはない。」となっています。
『ザカリヤはこれを見て、不安になり恐怖の念に襲われたが、御使いは彼に言った。「恐れることはない。ザカリヤ。あなたの祈りは聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。その名前をヨハネとつけなさい。」(ルカの福音書現代訳1:12~1:13)』
また「あなたの願いが聞かれた」のではなく、「あなたの祈りは聞かれた」となっています。「願い」と「祈り」では全然、異なります。願いは単なる願望に過ぎませんが、「祈り」は、まさに行動そのものです。神様とのやり取り、交渉、話し合い、あるいはヤコブのように格闘を表わします。
ザカリヤもエリサベツも、自分たちに跡継ぎの男の子が与えられるように、神様に祈っていたのです。祈り続けていたのです。なぜなら祭司職は、世襲制だったからです。ザカリヤの血を引く者でなければ、その職を継げず、栄誉ある祭司職はザカリヤの代で途絶えてしまうのです。
またアロンの家系と言う名門の出身であったエリサベツも、「不妊の女」と軽蔑され、肩身の狭い思いを余儀なくされていました。彼ら二人にとって、まさに死活問題であったのです。
しかし二人とも、すでに年を取っていました。常識的から見たとしても、もはや子を望める年齢ではなかったのです。
そこへ御使いガブリエルがやって来たのです。
「ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。」
まさしく神の使いであることの証が、ガブリエルの、この短い言葉の中に秘められています。まず、自分の名前を知っていること、次に自分の妻の名前を知っていることです。
そして、最も嬉しいことには、「男の子を産みます」と言う言葉です。これこそが、ザカリヤ夫婦の強い願いであり、また祈り続けて来たことだからです。
そしてもう一つ大切なことは、神様がその子の名前を、すでに決めておられたことなのです。
「その子をヨハネとつけなさい。」
「ヨハネ」とは、「主は恵み深い」と言う意味です。バプテスマのヨハネも、そして主イエス様も、生まれる前から、父なる神様によって名付けられていたことは、決して偶然ではないのです。そればかりではありません。バプテスマのヨハネとイエス様は、年は、ほぼ半年しか離れておらず、そして血のつながった従兄弟同士なのです。》