• 日々のみ言葉 2016年10月8日(土)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2016年10月8日(土)

    ◎聖書箇所 【ルカの福音書2章22節】
    2:22さて、モーセの律法による彼らのきよめの期間が満ちたとき、両親は幼子を主にささげるために、エルサレムへ連れて行った。

    ◎ショートメッセージ
    《ここでルカが言っていることは、イエス様の母であるマリヤにあてはまります。

     律法、すなわちレビ記にはこう書かれています。

    『それから、主はモーセに告げて仰せられた。「イスラエル人に告げて言え。女が身重になり、男の子を産んだときは、その女は七日の間汚れる。その女は月のさわりの不浄の期間のように、汚れる。八日目には、その子の包皮の肉に割礼をしなければならない。(レビ記12:1~12:3)』

     ヨセフとマリヤは、律法に従って歩んでいました。ベツレヘムにおいて、みどりごイエス様を産んだ後、マリヤはそこで七日間のきよめの期間を過ごしました。
     おそらくその時には、すでに宿も空き始め、あるいは親切な人によって、別の家が与えられた可能性が高いと思います。なぜならきよめの期間は、誰にも触れてはならず、またイエス様にマリヤは母乳を与えなければならないからです。

     ベツレヘムからエルサレムまでは、八キロほどの距離でした。それゆえヨセフは、マリヤと生まれたばかりの幼子(イエス様)を主なる神様に捧げるために、エルサレムに連れて行ったと言うわけです。

     それでは、「長子」すなわち初子を主に捧げるということは、どのようなことでしょうか。

     律法すなわち「出エジプト記」によれば、
    『「イスラエル人の間で、最初に生まれる初子はすべて、人であれ家畜であれ、私のために聖別せよ。それは私のものである。」(出エジプト記13:1~13:2)』と、神様は命じています。

     さらに「民数記」には、
    『「私はイスラエル人のうちで最初に生まれたすべての初子の代わりに、今これからイスラエル人の中からレビ人を取ることにした。レビ人は私のものである。初子はすべて私のものだからである。エジプトの国で私がすべての初子を打ち殺した日に、私は、人間から始めて家畜に至るまでイスラエルのうちのすべての初子を私のものとして聖別した。彼らは私のものである。私は主である。」(民数記3:11~3:13)』と、書かれています。

     初子が生まれた時、初子は神様のものとして捧げられることになっておりました。これは出エジプトの時、エジプト人の初子は殺されたのに、イスラエル人の初子は免れたと言う所から来ているのです。しかし、初子を神様に捧げ祭司にしてしまいますと、イスラエルの家には初子がいなくなってしまうため、その代わりにお金を捧げ、初子に代わって神様の働きをするレビ族の祭司の為に、そのお金は用立てられたのです。

     その精神がその後ずっと続いており、新約時代になっても、神様の働きを自分たちに代わってする牧師先生の為に、捧げ物が使われるということになったのです。》

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