◇◆◇日々のみ言葉
2016年10月11日(火)
◎聖書箇所 【ルカの福音書2章25節~26節】
2:25 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいた。聖霊が彼の上にとどまっておられた。
2:26 また、主のキリストを見るまでは、決して死なないと、聖霊のお告げを受けていた。
◎ショートメッセージ
《クリスマス。
ルカの福音書は、メシヤなるイエス様の降誕について、詳しく書き記しています。ところで、主イエス様がお生まれになられた頃のイスラエルの人々は、どのような信仰であったのでしょうか。
彼らは、やがて何時の日にか「メシヤ」なるキリストが来られることを知っていました。なぜなら旧約聖書に、はっきりと預言されているからです。
しかし預言者マラキが預言してから、約450年以上の歳月が流れています。その間に神様からの啓示はありませんでした。聖書学者は、マラキの預言から、バプテスマのヨハネが生まれるまでの空白の時間を、「中間時代」と呼んでいます。それは旧約時代と新約時代の間に位置するからです。
イエス様がお生まれになられた頃には、イスラエルのほとんどの人々は、救い主を待ち望んでいませんでした。彼らは、待ちくたびれていたのです。しかし救い主を、熱心に持ち望んでいた人たちがいたのです。それがシメオンと女預言者アンナです。
まず「シメオン」について考えて見たいと思います。
この名前は、「聞く」あるいは「神は聞かれた」と言う意味で、シモン・ペテロの名前「シモン」のヘブル語読みが「シメオン」となります。「シモン」はギリシャ語の発音であり、それゆえシモン・ペテロは、本来はシメオンが正しいことになります。
またシメオン族の名前でもあるのです。
さて、シメオンは老人でした。しかもかなり年を取っていたと思われます。彼は、正しい、敬虔な人で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいたのです。
それだけではありません。聖霊様が彼の上にとどまっておられたと言うのです。そして、主のキリスト(神様が遣わされた救い主)を見るまでは、決して死なないと、聖霊様からのお告げを受けていたのです。
まだ聖霊様は、降ってはおられないのにです。
主イエス様が、弟子たちに約束された聖霊なるお方は、五旬節の日に天から降って来られました。主イエス様を信じる者すべての人々の中に内住される為にです。しかし、その時までは、つまりその前までは、聖霊様は、ご自身の望まれる人だけに、とどまられたのです。
私たちは、聖霊様が、特に愛し好まれた人物を知っています。それはダビデです。
主イエス様がおさなごとして、エルサレムの神殿に両親によって連れて来られた時に、シメオンに聖霊様が働かれました。ついに約束されたその日がやって来たのです。
このことから、老人シメオンは、神様との生きた交わりを持っていたことが分かります。神様を心から愛する者、神様を第一として生きる者には、今も昔も変わらずに、神様は、聖霊なるお方として、その人に留まってくださるのです。
これこそが、真の意味においてクリスチャンの真髄であり、また光栄ある信仰生活、あるいは人生と言えるでしょう。
私たちには、このシメオンのように、今、聖霊様が与えられています。私たち一人一人の中に聖霊様は内在しておられます。それこそが、神様が何時も共にいて下さることの約束であり、また証しなのです。》