• 日々のみ言葉 2016年10月12日(水)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2016年10月12日(水)

    ◎聖書箇所 【ルカの福音書2章27節~28節】
    2:27 彼が御霊に感じて宮にはいると、幼子イエスを連れた両親が、その子のために律法の慣習を守るために、はいって来た。
    2:28 すると、シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。

    ◎ショートメッセージ
    《八日が満ちて幼子に割礼を施す日となり、幼子はイエスという名で呼ばれることになりました。マリヤの胎内に宿る前に御使いガブリエルがつけた名前です。しかし誤解のないように、ガブリエルがつけたのではなく、父なる神様が名付け親です。
     さて、モーセの律法によるマリヤの産後のきよめの期間が満ちたとき、ヨセフとマリヤは、幼子イエス様を、主(ヤーヴェの神様を指します)にささげるために、エルサレムへ連れて来たのです。ベツレヘムからエルサレムまでは、約8キロの道程でした。
     それは、モーセの律法に「母の胎を開く男子の初子は、すべて、主に聖別された者、と呼ばれなければならない。」と書いてあるとおりであったからです。
     また、主の律法に「山ばと一つがい、または、家ばとのひな二羽。」と定められたところに従って、マリヤのきよめの為に犠牲をささげるためでありました。

     そのとき、エルサレムの神殿の中ににシメオンという人がいたのです。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいました。聖霊様が彼の上にとどまっておられたのです。また、神様が遣わされた、救い主「キリスト」を見るまでは、決して死なないと、聖霊様からお告げを受けていたと言うのです。

     そのシメオンが御霊に注ぎ出されて神殿の中に入ると、何と幼子を連れた若い両親が宮に入って来ました。

     私たちは、ここに神様の素晴らしいタイミングを見ることが出来ます。まさしくこれはソロモンが、「伝道者の書(新共同訳ではコレヘトの言葉)」において、語っていることに間違いありません。

    『神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。(伝道者の書3:11)』

     するとシメオンは、幼子であるイエス様を抱いたと言うのです。ヨセフとマリヤは驚いたに違いないのです。
     もし、私やあなただったらどうしたでしょうか。突然一人の老人が近寄って来て、いきなり母親から赤子を取り上げたとしたら、何と感じるでしょうか。

     私は、シメオンのその姿が目に浮かぶのです。聖霊様によって与えられた預言が成就したその瞬間の顔が。その顔には、まさしく救い主キリストに対する心からの礼拝の念と、神様への感謝の思いが溢れていたに違いありません。
     神様を誉め称えながら、「ハレルヤ!ハレルヤ!」と叫びながら、ヨセフとマリヤとイエス様の「聖家族(カトリックではこう表現します)」に近づいて来たのだと思います。 そして主イエス様を抱いて、シメオンは神様を誉め称え、マリヤに預言することになります。》

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