◇◆◇日々のみ言葉
2016年10月16日(日)
◎聖書箇所 【ルカの福音書2章38節】
2:38ちょうどこのとき、彼女もそこにいて、神に感謝をささげ、そして、エルサレムの贖いを待ち望んでいるすべての人々に、この幼子のことを語った。
◎ショートメッセージ
《シメオンが幼子イエス様を腕に抱き、祝福し預言しました。
救い主の訪れを待ち望んでいたもう一人の人物が、ちょうどそこにいたのです。彼女の名前はアンナで、アセル族のパヌエルの娘であり女預言者でした。
彼女は、処女の時代のあと七年間、夫とともに住み、その後やもめになり、八十四歳になっていたのです。やもめになってからは、いつも宮を離れず、夜も昼も、断食と祈りをもって神に仕えていたのでした。
女預言者ですから、当然彼女もシメオンと同じく、聖霊様が共におられ、日々聖霊様と共に歩んでいたことが分かります。
聖霊様の導きを受けて、「ちょうどそのとき」宮にいたのです。これは偶然ではありません。神様の時は、いつも必然であり、神様の用意されたタイミングは、どのような時であったとしても、早くなることも遅くなることもないのです。これ以上はないと言う、絶妙なタイミングがいつも用意されています。神様の時計はいつも正確なのです。
このことは、シメオンとアンナだけに当てはまるのではありません。私たち、イエス様を、主として信じる者にも、神様はそのようにして下さるのです。
さてアンナは、幼子イエス様を見ると、神様に感謝を捧げました。この時アンナが、イエス様を手に抱いたかどうかは、書かれていませんが、シメオンでさえ抱いたのですから、おそらくアンナも、自分の主であられる幼子イエス様を、手に抱いたことは、当然ではなかったかと思うのです。
さて一番大切なことについて考えて見たいと思います。
シメオンも女預言者アンナも、神様第一の生活をしていたのです。神様と共に歩み、そして救い主を待ち望み、待ち望み続けていたのです。また自分の目で救い主を見ると言う約束が御霊によって与えられていました。
その成就の日までに、幾度となく信じ続ける困難、待ち望み続ける困難に出くわしたかも知れないのです。しかし彼らは信じ続けました。彼らは待ち望み続けました。
まさしくヘブル人への手紙に書かれてある通りなのです。
『信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。昔の人々はこの信仰によって称賛されました。(ヘブル人への手紙11:1~11:2)』
そしてアンナは、エルサレムの贖いを待ち望んでいるすべての人々に、この幼子のことを、イエス様のことを語ったのです。
彼女はすぐに証し人となったのです。おそらく、その命が尽きるまで、女預言者は、救い主が来られたことを人々に語り伝えたと私は思うのです。》