• 日々のみ言葉 2016年10月19日(水)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2016年10月19日(水)

    ◎聖書箇所 【ルカの福音書2章41節】
    2:41 さて、イエスの両親は、過越の祭りには毎年エルサレムに行った。

    ◎ショートメッセージ
    《ルカは、ここにおいても衝撃なことを書き記しています。
     私たちは、意外にも主イエス様の家族、すなわちヨセフとマリヤとイエス様と弟たちと妹たちが、貧しい暮らしを強いられていたに違いないと思いがちです。
     もしそうであるならば、毎年、過越の祭りに、聖都エルサレムに上ることなど、不可能なことなのです。

     ヨセフの仕事は何でしたか。大工だったのです。おそらく物心ついた頃からイエス様は、ヨセフの跡を継ぐ者として、父親(義理)から教育を受けていたことが分かります。

     さて、その当時のユダヤ人は全世界に散らばっておりました。全世界と言いましても、地中海の沿岸を含むヨーロッパ地方、アジア地方、そしてアフリカ地方を指しています。

     そして全世界に散らばったユダヤ人の最大の願いは、故郷の聖都エルサレムにおいて、過越の祭りの巡礼に、一生に一回でも上ることであったのです。
     詩篇120篇から134篇は、エルサレムに巡礼する人々によって歌われた「都上りの歌」が収録されています。
     主イエス様のおられた時代であっても、人々はこの歌を歌いながら、エルサレムに上ったのです。

     多くのユダヤの人々にとっては、その生涯において二、三回エルサレムに上ることが出来たとしたら、それは光栄なことでした。なぜなら非常にお金がかかったからです。貧乏な人では無理だったのです。
     それゆえ、イエス様とその家族が、毎年過越の祭りにはエルサレムに上ったと言うことは、イエス様の家族が貧しい家庭ではなく、比較的豊かであったことが分かります。

     また、ユダヤ最大の祭りである過越の祭りの期間は、エルサレム市内の宿は超満員となり、宿の取れなかった人は、エルサレムの城壁の外に簡易天幕を張って、そこから市内に通ったのです。しかし裕福なユダヤ人たちは、エルサレム市内に自分の家、つまり別荘を持っていたのでした。

     ヨセフとマリヤがエルサレムに自分たちの別荘を持っていたかどうかは、聖書から知ることは出来ません。
     しかし一つの大きな可能性が考えられます。それは、ヤコブとヨハネの父ゼベタイが、エルサレム市内に自分の別荘を持っていたということです。しかもゼベタイの妻であるサロメは、主イエス様の母マリヤとは、姉妹関係であったことが分かっています。
     とするならば、イエス様の家族は、母マリヤの妹にあたるサロメの家に宿泊し、そこから宮に通ったことと思われるのです。

     その確信にせまる出来事をヨハネは、はっきりと聖書に書き記しています。
    『シモン・ペテロともうひとりの弟子は、イエスについて行った。この弟子は大祭司の知り合いで、イエスと一緒に大祭司の中庭にはいった。しかし、ペテロは外で門のところに立っていた。それで、大祭司の知り合いである、もうひとりの弟子が出て来て、門番の女に話して、ペテロを連れてはいった。(ヨハネの福音書18:15~18:16)』

    「もうひとりの弟子」とは、ヨハネ自身を指しています。ガリラヤの若い一漁師がなぜ、ユダヤの最高責任者と知り合いなのでしょうか。毎年エルサレムに上って来る者でなければ、どうして最高責任者と知り合うことが出来るでしょうか。

     そして、その頃から主イエス様と、従兄弟にあたるヤコブとヨハネとは顔見知りであり、またエルサレムにおいて毎年顔を合わせることになると言う、親しい間柄であったことも分かって来るのです。》

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