◇◆◇日々のみ言葉
2016年10月21日(金)
◎聖書箇所 【ルカの福音書2章42節~45節】
2:42 イエスが十二歳になられたときも、両親は祭りの慣習に従って都へ上り、
2:43 祭りの期間を過ごしてから、帰路についたが、少年イエスはエルサレムにとどまっておられた。両親はそれに気づかなかった。
2:44 イエスが一行の中にいるものと思って、一日の道のりを行った。それから、親族や知人の中を捜し回ったが、
2:45 見つからなかったので、イエスを捜しながら、エルサレムまで引き返した。
◎ショートメッセージ
《過越の祭にエルサレムに上る時、あるいは故郷に戻る時には、必ず自分たちの家族以外に、親戚や知人らと共に、少なくとも十数名以上のキャラバンを組んで行きました。 これは盗賊に襲われたりするのを防ぐためで、普通は子どもたち、女性たち、そして男性たちの順で歩いたようです。
しかし、子どもたちは自由に大人たちの間を行ったり来たりしますから、一日の道程を歩き、いよいよ夜になり宿に入ろうとした時、ヨセフとマリヤは、イエス様がいないことに気づいたのです。あわてて親族や知人の中を捜し回るのですが、見つかりません。
ナザレからエルサレムまでは、約120キロほどあると言われています。一日の道程とは、大体三分の一にあたる40キロほどです。なぜなら、ガリラヤからエルサレムまでは、普通は三日の道程であり、急ぎ足だと二日の道程であったと言われているからです。
ルカは、ヨセフとマリヤがイエス様を捜しながらエルサレムまで引き返したと書き記していますが、夜道を戻ったのではなく、やはり夜が明け、朝が来てから引き返したことは言うまでもありません。
なぜなら今現在のように、街灯など無いからです。この時、ヨセフとマリヤは一睡も出来なかったに違いないのです。自分たちの幼子を親戚や知人に預けて、明るくなるとすぐにエルサレムに引き返したはずです。
その時、エルサレムから戻って来る人々の中をくまなく捜しながら、そしてついにエルサレムまで戻って来たと言うわけなのです。
ヨセフもマリヤもやはり親なのです。この所から主イエス様の義理の父親であり、育ての親であったヨセフも、自分の子どもたちと同じくらいに、心からイエス様を愛し、また心配していることが手に取るように分かるのです。
イエス様はあと一年もしますと、「バル・ミツバ」となり成人なされるのですが、この時にはまだ十二歳であり、その成人式の為に周到な準備を重ねておられたと思います。
私たちは、主イエス様の子ども時代だけでなく、30歳において公生涯を始められる前までの主イエス様を知らないのです。外典にはいくつかの記事が書かれてあるのですが、どれも信憑性に欠け、私たちは、ルカの福音書に書かれた僅かな記事から、主の歩まれた道を推測するしか手立てはないのです。
しかし主の母であるマリヤは、イエス様の成長を目の辺りに見て来たのです。おそらく十字架に掛かられて死なれるその瞬間まで、母マリヤは、我が子であるイエス様のそれまでの記憶を鮮明に、脳裏に刻んでいたと思うのです。しかしルカに彼女が語ったことは、十二歳の時のイエス様の話でした。本当は、もっともっと不思議なことが起こっていたはずなのです。
しかし、聖書の真の著者であられる聖霊様は、それらのことを書き記すことは許可されなかったのです。
ヨハネが書き記した事はまさに真実です。
『イエスが行なわれたことは、ほかにもたくさんあるが、もしそれらをいちいち書きしるすなら、世界も、書かれた書物を入れることができまい、と私は思う。(ヨハネの福音書21:25)』》