◇◆◇日々のみ言葉
2016年10月22日(土)
◎聖書箇所 【ルカの福音書2章46節~47節】
2:46そしてようやく三日の後に、イエスが宮で教師たちの真中にすわって、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。
2:47 聞いていた人々はみな、イエスの知恵と答えに驚いていた。
◎ショートメッセージ
《エルサレムにおいて、ユダヤ最大の祭りであり、七日間行なわれた過越の祭りが終わり、ヨセフとマリヤは、親族や知人らと共にガリラヤのナザレへの帰路に着きました。
当時の旅行は、一家族単位で移動するのではなく、なるべく多くの人々で一緒に行動したのです。これは盗賊の難から逃れるための自衛手段でもありました。普通、そのような場合には、最初に子どもたちのグループ、次に女性たちのグループ、そして最後に男性のグループといった順番で歩きました。
なぜなら、当時のユダヤでは、子どもたちは、「価値の無いもの」あるいは、「つまらないもの」と言ったレッテルが貼ってあったからです。それゆえ、イエス様は子どもたちを歓迎されたのです。弟子たちを叱りましたね。
また「五千人の給食」の時には、男性の数しか数えず、女性たちと子どもたちを足したのなら、その数は二万人以上であったと言われています。
ここからも当時のユダヤが、男性中心社会であり、女性も子どもも、人権をあまり認められていなかったことが分かります。
エルサレムから一日の道程を進んで来て、宿に泊まろうとした時に、子どもたちのグループの中に、少年イエス様がいないことに、ヨセフとマリヤは気づいたのです。
夜が明けてから、一日の道程であった40キロを懸命になって、少年イエス様を捜し回ったのです。とうとうエルサレムまで戻って来てしまいました。エルサレム市内の中でも、二人はイエス様を捜し周りました。
そしてついに見つけたのです。何とイエス様は神殿におられたのです。ヨセフとマリヤが、少年イエス様を発見した時の光景は、驚くべき異様なものだったのです。
それは、ユダヤ教の偉い先生方の中に座って、話を聞いたり、質問したりしている姿でした。これはユダヤ人のラビたちが普通にしていた教育の一貫で、別に特別なことではありません。ヨセフとマリヤは、勉強熱心な、少年イエス様に驚いたのではありません。
二人が驚いたのは、ユダヤ教の偉い先生方と対等に、あるいはそれ以上に、聖書の問答をしておられるだけではなく、聖書についての深い洞察の中に、人間を越えた高邁(こうまいと読む、気高く優れていること)で崇高な知恵を見い出したからです。
しかもそれは両親だけではなく、その場所にいて、それを聞いていた人たちは、皆、驚嘆したのです。
マリヤはなぜこのことを、特に覚えていたのでしょうか。おそらく、我が子イエス様が、これほどの聖書の知識を持っていたことを、この時初めて気が付いたからではないでしょうか。まさにご自身が神の御子であられることを、すでにこの時から現わされていたのです。》