◇◆◇日々のみ言葉
2016年10月25日(火)
◎聖書箇所 【ルカの福音書3章1節~2節】
3:1 皇帝テベリオの治世の第十五年、ポンテオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの国主、その兄弟ピリポがイツリヤとテラコニテ地方の国主、ルサニヤがアビレネの国主であり、
3:2 アンナスとカヤパが大祭司であったころ、神の言葉が、荒野でザカリヤの子ヨハネに下った。
◎ショートメッセージ
《今日からルカの福音書3章に入ります。
ルカは、ここでバプテスマのヨハネについて詳細に書き記しています。ルカの福音書は、一番時制が正確だと言われています。つまり、起こったことをその年代順に調べ書き記しているのです。
ここでは、バプテスマのヨハネが何時頃から、悔い改めのバプテスマを授けると言うミニストリーを始めたかを、綿密に書き記しています。
それによりますと、
「ローマ皇帝テベリオ」が即位したのが、紀元12年であり、それから第十五年とは、紀元26年から27年にあたります。
「ポンテオ・ピラトがユダヤの総督」とは、シリヤ州総督配下の第三級元首属州ユダヤの地方総督のことで、ローマ騎士階級の中流の官位であり、ピラトがその地位にあったのは紀元26年から36年のことになります。
また、ヘロデ大王の息子ヘロデ・アンティパスがガリラヤの国主であったのが、紀元4年から紀元39年であり、その兄弟ヘロデ・ピリポがイツリヤとテラコニテ地方の国主であったのが、紀元前4年から紀元39年であり、テベリオ治世下にルサニヤなる名の領主がいたことは、ほぼ確証されています。
バプテスマのヨハネは、主イエス様より六ヵ月ほど早く生まれています。同じ年であったのかは、確定はできませんが、以上の資料から判断するに、バプテスマのヨハネがミニストリーを始めた年は、テベリヤ治世第十五年を紀元26年とすると、32歳から33歳となります。
実はここで、かなりの誤差が生じて来るのです。なぜならルカは、3章23節において、イエス様が公生涯に入られた年を、こう書き記しているからです。
『教えを始められたとき、イエスはおよそ30歳で、人々からヨセフの子と思われていた。(ルカの福音書3:23)から』
イエス様が生まれた年は、紀元前6年頃と言われています。それはヘロデ大王が死んだ年が紀元前4年であるからです。それゆえヘロデ・アンティパスの兄であるヘロデ・ピリポが、紀元前4年にイツリヤとテラコニテ地方の国主となりました。
とするならば、イエス様は紀元24年頃から、メシヤとしての働きをなされる事になります。当然バプテスマのヨハネは、それよりも前から「先ぶれ」としての「悔い改めのバプテスマ」を授けていましたから、紀元24年より早くならなければなりません。 どう考えたとしても、テベリヤ治世十五年である紀元26年から27年であるはずがありません。
またヨハネはすでにエルサレム中の多くの人々に、悔い改めのバプテスマを授けていたはずですから、それは数日や数ヶ月のことではなく、少なくとも一年以上の歳月が必要であったはずです。この辺りの詳しい年代確定は難しいですが、さらなる学者の研究が必要であるのかも知れません。ただ一つの可能性があるとしたら、テベリヤ治世の第十五年の数字が、間違っていると言うことです。》