• 日々のみ言葉 2016年10月26日(水)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2016年10月26日(水)

    ◎聖書箇所 【ルカの福音書3章3節】
    3:3 そこでヨハネは、ヨルダン川のほとりのすべての地方に行って、罪が赦されるための悔い改めに基づくバプテスマを説いた。

    ◎ショートメッセージ
    《昨日からルカの福音書第3章に入りました。ルカは、ここでバプテスマのヨハネについて詳細に書き記しています。
     『皇帝テベリオの治世の第十五年、ポンテオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの国主、その兄弟ピリポがイツリヤとテラコニテ地方の国主、ルサニヤがアビレネの国主であり、アンナスとカヤパが大祭司であったころ、神の言葉が、荒野でザカリヤの子ヨハネに下った。(ルカの福音書3:1~3:2)』

     ここで一番注目したい年代はポンテオ・ピラトがユダヤの総督になった年です。それは紀元26年のことなのです。ここから主イエス様が十字架に掛けられた年が、紀元26年以降であることは、間違いなく立証されるのです。

     イエス様がお生まれになられた年は、紀元0年ではありません。それよりも6、7年前となります。そしてイエス様が、公生涯を始められたのは、およそ30歳であったとルカは書き記していますから、ポンテオ・ピラトが総督として着任した時には、イエス様は32歳から33歳であり、まさしく公生涯の真っ只中にあったことが分ります。
     運命的とも申しますか、神様の摂理によって、ローマ皇帝テベリオにより、ピラトはユダヤの総督として任命され、エルサレムに赴任して来たと言うわけです。

     さて、バプテスマのヨハネは、おそらくザカリヤとエリサベツ夫婦が召された後、荒野のエッセネ派の修道院において生活していたと考えられます。

     ルカによりますと、
    『さて、幼子は成長し、その霊は強くなり、イスラエルの民の前に公に出現する日まで荒野にいた。(ルカの福音書1:80)』と書かれてあるからです。

     そして神の時がついに満ちて、ザカリヤの子ヨハネに、神様の言葉が降り、そこでヨハネは、ヨルダン川のほとりのすべての地方に行って、罪が赦されるための悔い改めに基づくバプテスマを説いたのです。ヨハネは、この為に生まれ出たのですから。

     ここで父ザカリヤが預言したことが、成就したのです。

    『さて父ザカリヤは、聖霊に満たされて、預言して言った。
    「ほめたたえよ。イスラエルの神である主を。主はその民を顧みて、贖いをなし、救いの角を、われらのために、しもべダビデの家に立てられた。
     古くから、その聖なる預言者たちの口を通して、主が話してくださったとおりに。この救いはわれらの敵からの、すべてわれらを憎む者の手からの救いである。
     主はわれらの父祖たちにあわれみを施し、その聖なる契約を、われらの父アブラハムに誓われた誓いを覚えて、われらを敵の手から救い出し、われらの生涯のすべての日に、きよく、正しく、恐れなく、主の御前に仕えることを許される。
     幼子よ。あなたもまた、いと高き方の預言者と呼ばれよう。主の御前に先立って行き、その道を備え、神の民に、罪の赦しによる救いの知識を与えるためである。
     これはわれらの神の深いあわれみによる。そのあわれみにより、日の出がいと高き所からわれらを訪れ、暗黒と死の陰にすわる者たちを照らし、われらの足を平和の道に導く。」(ルカの福音書1:67~1:79)』

     しかし残念ながら、ザカリヤもエリサベツも、その勇姿を見ることが出来ませんでした。主の母マリヤは、ザカリヤと親戚であったエリサベツが何時召されたのかを、間違いなく知っていたはずです。》

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