◇◆◇日々のみ言葉
2016年10月28日(金)
◎聖書箇所 【ルカの福音書3章7節~8節】
3:7 それで、ヨハネは、彼からバプテスマを受けようとして出て来た群衆に言った。「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。
3:8 それならそれで、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。『われわれの先祖はアブラハムだ。』などと心の中で言い始めてはいけません。よく言っておくが、神は、こんな石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。」
◎ショートメッセージ
《『そこでヨハネは、ヨルダン川のほとりのすべての地方に行って、罪が赦されるための悔い改めに基づくバプテスマを説いた。(ルカの福音書3:3)』
神様の言葉が、生まれる前からすでに名前がつけられていたヨハネに降りました。ヨハネは、その言葉に従い、ヨルダン川のほとりのすべての地方に行って、罪が赦されるための悔い改めを説いたのです。そして悔い改めた印として、その象徴として、悔い改めのバプテスマをヨハネ自身が授けていたのです。
まず、当時の時代がどういうものであったかと言いますと、まさに罪のまっただ中とも言うべき暗黒の時代であったと言うことです。
今、現在のように、振り込め詐欺で多くの人々がだまされ、そして財産をだまし取られ奪われるように、今から二千年も前の時代も、同じように、人々は、だましあい、だまされていたのです。
特にユダヤ人は、神様から選ばれた選民として、異邦人の人々を汚れた者であるとして軽蔑し忌み嫌い、自分たちは最も偉い民族であると高ぶっていました。
それゆえヨハネは、
「まむしのすえたち。誰が必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。それならそれで、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。『われわれの先祖はアブラハムだ。』などと心の中で言い始めてはいけません。よく言っておくが、神は、こんな石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。」と彼らに言ったのです。
これは、自分たちがアブラハムの子孫であるから、祝福の中にあるから、何をやっても許され、大丈夫だと言う考えを、ヨハネは真っ向から否定しているのです。
この考えは、何も当時のユダヤ人たちにだけ当てはまるのではなく、今現在、救われてクリスチャンとなった私たち一人一人に対しても、当てはまるのではないでしょうか。
私は今から何十年前に救われ、バプテスマを受け、クリスチャンになったから、天国に行けるから、もう何をやっても大丈夫だ、などと考えていたら、それは大きな間違いであると言うことです。
ヨハネは言います。
「それならそれで、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。」
「実」で分かるのです。私たちは、実の実らない木であってはなりません。すでに救われた者として、霊的にアブラハムの子孫に加えられて者として、実を結ばなければならないのです。そしてそれこそが、「悔い改め」た、しるしとなるのです。》