◇◆◇日々のみ言葉
2016年11月24日(木)
◎聖書箇所 【ルカの福音書4章24節】
4:24 また、こう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。預言者は誰でも、自分の郷里では歓迎されません。」
◎ショートメッセージ
《イエス様は「ナザレの人」と呼ばれました。
マタイによりますと、
『ヘロデが死ぬと、見よ、主の使いが、夢でエジプトにいるヨセフに現われて、言った。「立って、幼子とその母を連れて、イスラエルの地に行きなさい。幼子のいのちをつけねらっていた人たちは死にました。」
そこで、彼は立って、幼子とその母を連れて、イスラエルの地にはいった。しかし、アケラオが父ヘロデに代わってユダヤを治めていると聞いたので、そこに行ってとどまることを恐れた。そして、夢で戒めを受けたので、ガリラヤ地方に立ちのいた。
そして、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちを通して「この方はナザレ人と呼ばれる。」と言われた事が成就するためであった。(マタイの福音書2:19~2:23)』
イエス様は預言通りに、ダビデの町ベツレヘムにお生まれになられましたが、父ヨセフと母マリヤの故郷であるナザレに住まわれ、そこで30歳になられるまで、ナザレの大工として暮らし、また一人のユダヤ人の男性として、ユダヤ人の会堂シナゴークにて安息日には、ご奉仕をされておられたのです。
よって間違いなくナザレは、主イエス様の郷里であったわけです。
「まことに、あなたがたに告げます。預言者は誰でも、自分の郷里では歓迎されません。」
ここでイエス様が言われたことは、「預言者は誰でも」と言うことです。大預言者エリヤもそうでした。エリシャもそうでした。エレミヤもそうだったのです。
この時、おそらくイエス様の四人の弟たちヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンもシナゴークにいたはずです。カペナウムでのうわさや、主イエス様の評判は確実に、ここナザレまでにも届いていたはずです。
もちろんイエス様の家族たちは知っていました。本来ならば、イエス様の家族が真っ先に兄であるイエス様を歓迎し、そしてこぞってイエス様の弟子になって兄を支える、そんな風になるのが普通であり常識のように思えるのですが、何とイエス様の弟や妹たちは、イエス様が十字架に掛けられた時でさえ、兄の側近くにはいなかったのです。
彼らが信仰を持つのは、主イエス様がよみがえってからなのです。復活なされた後なのです。生きておられるお姿を見た時なのです。
イエス様は、故郷ナザレの人々だけでなく、ご自分の愛する弟や妹たちからも、受け入れてもらえず、信じてもらえなかったのです。
「まことに、あなたがたに告げます。預言者は誰でも、自分の郷里では歓迎されません。」
何と不思議なことなのでしょうか。
いかに「思い込み」が不信仰を生み出すことになるのか、と言うことであり、単純に信じることの難しさを、思い知らされるのです。》