• 日々のみ言葉 2016年11月23日(水)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2016年11月23日(水)

    ◎聖書箇所 【ルカの福音書4章23節】
    4:23 イエスは言われた。「きっとあなたがたは、『医者よ。自分を直せ。』というたとえを引いて、カペナウムで行なわれたと聞いていることを、あなたの郷里のここでもしてくれ、と言うでしょう。」

    ◎ショートメッセージ
    《ナザレのユダヤ人の人々は、主イエス様のイザヤ書61章から語られた、恵みに満ち溢れた「勧めの言葉」に、深く感動し、心を揺り動かされたのです。
     しかし感動と共に、一つの疑惑が、疑問が湧いて来たのでした。なぜなら、今彼らの前に立って話しているのは、このナザレに共に住み、幼い頃から良く知っている大工ヨセフとマリヤの子イエシュアーであったからです。
     
     その時列席していた人々は、みなイエス様をほめ、その口から出て来る恵みの言葉に驚いたのですが、また「この人は、ヨセフの子ではないか。」と、彼らは顔を見合わせたのです。

     それを聞いたイエス様は、「きっとあなたがたは、『医者よ。自分を直せ。』というたとえを引いて、カペナウムで行なわれたと聞いていることを、あなたの郷里のここでもしてくれ、と言うでしょう。」と言われたのです。

     『医者よ。自分を直せ。』とは、当時のことわざであって、「直せるものなら、自分を直してみろ。」と言う軽蔑の意味を含んでいました。

     つまり、「イエシュアーよ。もしお前が「メシヤ」と言うならば、ナザレでカペナウムで行なったような奇蹟としるしを、私たちに見せてみろ。」と言う意味だったのです。

     同じようなことを、主イエス様が十字架に掛けられた時、ユダヤの人々は言うことになります。

    『道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって、言った。「神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。もし、神の子なら、自分を救ってみろ。十字架から降りて来い。」
     同じように、祭司長たちも律法学者、長老たちと一緒になって、イエスをあざけって言った。
     「彼は他人を救ったが、自分は救えない。イスラエルの王様なら、今、十字架から降りてもらおうか。そうしたら、我々は信じるから。彼は神により頼んでいる。もし神のお気に入りなら、いま救っていただくがいい。『私は神の子だ。』と言っているのだから。」(マタイの福音書27:39~27:43)』

     もちろん、この時イエス様は、十字架から降りることも出来ました。イエス様が望めば、十字架から降りて、そしてローマ兵やパリサイ人や律法学者たちを一瞬にして滅ぼすことも、いと容易いことだったのです。
     また故郷ナザレの人々に、目を見張るような奇蹟やしるしを見せることも簡単でした。しかしそれをなさいませんでした。
     主イエス様は、ご自身を信じ信頼する者の為に、奇蹟やしるしを行なわれるのです。それだからこそ、「あなたの信仰があなたをいやしたのです。」と言われたのです。
     もちろんいやされるのは、主イエス様の御わざです。しかしそれを引き出し奇蹟を体験することが出来たのは、その人の心の中にある主イエス様への、辛子種のような信仰なのです。
    「信仰」です。主イエス様に対する「信仰」が大切なのです。故郷ナザレの人々は、イエス様に躓いたのです。人間イエス様だけを見て、神の御子であられるお方を見ることが出来なかったのです。》

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