• 日々のみ言葉 2016年11月22日(火)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2016年11月22日(火)

    ◎聖書箇所 【ルカの福音書4章22節】
    4:22 みなイエスをほめ、その口から出て来る恵みの言葉に驚いた。そしてまた、「この人は、ヨセフの子ではないか。」と彼らは言った。

    ◎ショートメッセージ
    《「きょう、聖書のこのみ言葉が、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」

     この言葉の後、イエス様は、イザヤ書の「メシヤ預言」から、思いもつかないほどの感動的な説教を話されたのです。
     ナザレの故郷の人々は感動したのです。おそらくそこには主イエス様の弟たちが同席していたはずです。もちろん彼らも感動したのです。そして恵まれたのです。
     その時彼らは、今目の前におられるお方が「メシヤ」であることを、そして旧約聖書に預言されていた預言者であり、彼らが待ち望んだお方であることを一瞬にして悟ったのです。

     しかし、しかしです。

     その時、彼らは我に返ったのでした。それが次の言葉に表わされています。
    「この人は、ヨセフの子ではないか。」

     またイエス様の弟たちは、おそらく
    「誰だとおもったら兄のイエシュアーではないか。」と顔を見合わせたに違いないのです。

     確かに、姿、形は、ナザレの人々が良く知る大工ヨセフの長男、マリヤの子であるイエシュアーではありましたが、また弟たちそして妹たちが生まれた時から側にいたに違いない兄でありましたが、本当は、真実は、神の御子」であるお方、主の主、王の王「メシヤ」であられたのです。

     彼らの経験と知識が邪魔をして、素晴らしいみ言葉の解き明かしから、深い感動を揺り動かされたにもかかわらず、その力強い恵みよりも、常識や思い込みから、疑いと侮辱みたいなものが、彼らの心に芽生えたのです。

     このことは、この当時のことだけではありません。今、現在においてでさえ、今から二千年ほど前に生まれたお方が、まことの救い主であることを、信じ受け入れず、侮辱する者が存在するのです。
     処女降誕など信じられるか。どうして知りも知らない者が、十字架に掛かって死んだことが自分と何の関係があるのか、しかも遠い昔に起こった遠い国での出来事が。

     使徒パウロは言います。
    『聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。「主の御名を呼び求める者は、誰でも救われる。」のです。(ローマ人への手紙10:11~10:13)』

     このお方以外に救いはありません。このお方の御名以外に、救いの名は人類に与えられてはいないのです。》

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