◇◆◇日々のみ言葉
2016年11月28日(月)
◎聖書箇所 【ルカの福音書4章31節~32節】
4:31 それからイエスは、ガリラヤの町カペナウムに下られた。そして、安息日ごとに、人々を教えられた。
4:32 人々は、その教えに驚いた。その言葉に権威があったからである。
◎ショートメッセージ
《イエス様は、おそらくエジプトから二・三歳頃に、養父ヨセフと母マリヤの故郷のナザレにやって来たと思われます。
そして、そこで約二十八年間、両親に忠実に仕え、弟たちと妹たちの世話をされました。十三歳にバル・ミツバの儀式を終え、大人のユダヤ人として、ナザレのユダヤ人の会堂において、奉仕し続けたと思われます。
しかし三十歳になって、「メシヤ」としての公生涯を始めてからは、故郷ナザレに二回もしくは三回ほど戻っただけなのです。その一回目が今回の出来事でした。
ご自分を崖から突き落として殺そうとした同郷の人々の間を通り抜ける、と言う奇蹟を行ない、弟子たちを伴って、またカペナウムに戻って来たのです。
ガリラヤ湖畔のカペナウムこそ、そしてシモン・ペテロとその弟アンデレの家こそが、ガリラヤ伝道の中心になって行くのでした。
この当時のカペナウムのユダヤ人の会堂の跡は、今も残っており、イエス様が多くのミニストリーと教えをしたその場所であることは、ほぼ間違いないことです。
ルカは、『安息日ごとに、彼らに教えられた』と書き記していますが、これはかなり長い期間そこに留まられたことを意味しています。安息日は、一週間に一回、回って来るだけなのですから。
それでは安息日以外は、どうしていたのでしょうか。おそらくガリラヤ湖の湖畔もしくは丘にて教えていたと思われます。それゆえ有名な「山上の垂訓」が生まれたのです。
私は思うことがあります。イエス様は、本当は故郷ナザレを、ガリラヤ伝道の中心地にしたかったのではないかと。バプテスマのヨハネから洗礼を受け、四十日四十夜の荒野での試みの後、ガリラヤ湖にやって来て、次々に弟子たちを召し出し、それからすぐにカナの婚礼に向かい、故郷ナザレに行かれたのです。
約三十年も住んだ故郷ナザレの人々、そしてそこにいる愛する家族たちのことを、どうして「愛の人」である主イエス様が、忘れるようなことがあるでしょうか。
なぜなら「神は愛」だからです。愛の塊のようなイエス様が、本当に血を分けた四人の弟たち、また二人の妹たちのことを、そしてその時には、おそらくやもめとなっていた母マリヤのことを、心から思わないことがあるでしょうか。
『故郷に錦を飾りたい』と思うのは、誰でも同じなのではないでしょうか。しかし故郷ナザレの人々は、イエス様を拒絶しました。そればかりではありません。愛する弟たち、そして妹たちでさえ、兄である自分を受け入れてくれなかったのです。
その時の、イエス様の思いはどんなであったことでしょう。まさしく「悲しみの人」であったに違いないのです。
しかしその反面、カペナウムの人々は大いなる祝福と恵みに預かることになるのです。これは後に、ユダヤ人が、イエス様をメシヤとしては認めず、拒否した為に、祝福と恵みが、異邦人である私たちに流れて来たことの、予表ではないでしょうか。》