• 日々のみ言葉 2016年12月17日(土)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2016年12月17日(土)

    ◎聖書箇所 【ルカの福音書5章18節~20節】
    5:18するとそこに、男たちが、中風をわずらっている人を、床のままで運んで来た。そして、何とかして家の中に運び込み、イエスの前に置こうとしていた。
    5:19 しかし、大ぜい人がいて、どうにも病人を運び込む方法が見つからないので、屋上に上って屋根の瓦をはがし、そこから彼の寝床を、ちょうど人々の真中のイエスの前に、つり降ろした。
    5:20 彼らの信仰を見て、イエスは「友よ。あなたの罪は赦されました。」と言われた。

    ◎ショートメッセージ
    《ここから有名な中風の人のいやしに、入いって行きます。この記事も、マタイ・マルコ・ルカにおける三つの共観福音書に掲載されています。

     マルコはかなり詳細にわたって書き記しています。マタイはマルコを基にして福音書を執筆しましたので、ごく簡潔に、書くに留めています。

     マルコによりますと、
    『数日たって、イエスがカペナウムにまた来られると、家におられることが知れ渡った。
     それで多くの人が集まったため、戸口のところまですきまもないほどになった。この人たちに、イエスはみ言葉を話しておられた。
     そのとき、ひとりの中風の人が四人の人にかつがれて、みもとに連れて来られた。群衆のためにイエスに近づくことができなかったので、その人々はイエスのおられるあたりの屋根をはがし、穴をあけて、中風の人を寝かせたままその床をつり降ろした。
    イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。あなたの罪は赦されました。」と言われた。(マルコの福音書2:1~2:5)』と、なっています。

     二つの福音書から、場面をより明確にして行きたいと思います。

     マルコは、『数日たって、イエスがカペナウムにまた来られると、家におられることが知れ渡った。』と、書き始めました。

     ルカは「家の中に」としか書いておりません。まず誰の家であるのかを考えて見ましょう。「イエス様が、またカペナウムに来られた。」と言うことは、ガリラヤ宣教はカペナウムを中心として行なわれましたから、カペナウムには何度も戻って来られたことが分かります。
     なぜなら「自分の町」と呼んでいたからです。そして家とは、同じく「自分の家」とも呼んだ、シモン・ペテロの家を指しています。
     特にペテロのしゅうとめは、イエス様が来られるたびに、暖かく持て成したことは、想像するのに容易いことでしょう。

     そのペテロの家に、「多くの人々が集まっていた」のです。戸口の回りに群がっていたのです。そしてそこにパリサイ人や律法学者たちが、同席していたのです。

     ところで、彼らはイエス様や弟子たちに、自分たちがパリサイ人や律法学者であること、あるいは議会議員であることを隠すために、変装していたのでしょうか。

     いいえ、そんなことをするはずがありません。彼らは、自分たちに自信を持っていたのです。自分たちこそが、最も清く正しい者であることを自負していたのです。その権威を表わす装束を、偽る必要などありません。
     むしろステータスとして、「ここに最高のパリサイ派のラビ、そして律法学者が同席しておるのだから、イエスよ、おのれが「神の子」であるなのなら証明して見せよ。」と言う剣幕であったのです。》

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