• 日々のみ言葉 2016年12月16日(金)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2016年12月16日(金)

    ◎聖書箇所 【ルカの福音書5章17節】
    5:17ある日のこと、イエスが教えておられると、パリサイ人と律法の教師たちも、そこにすわっていた。彼らは、ガリラヤとユダヤとのすべての村々や、エルサレムから来ていた。イエスは、主の御力をもって、病気を直しておられた。

    ◎ショートメッセージ
    《イエス様は、集まって来る群衆に教えておられました。それでは、イエス様は一体何を教えておられたのでしょうか。
     この時は、イエス様の公生涯において、まだ始めの頃のことでありました。イエス様のメシヤとしての生涯が、三年半であったことは、すでに私たちには分かっています。 しかしその時に従っていた弟子たちには、そのことが隠されていたのです。

     イエス様は、弟子訓練をも含めて、何度も同じことを教えられ、またその為に用いられた「たとえ話」も、おそらく何度も何度も、話されたに違いないと思うのです。
     繰り返しが必要だからです。み言葉が身に付くまでには、やはり復唱が必要なように、イエス様の教えが弟子たちの心に、完全に刻み込まれるまでには、何度も何度も繰り返し、教える必要性があったからです。

     しかしイエス様のもとに集まって来る群衆は、そうではありませんでした。また群衆も、それぞれの地方によって、所属する国もまた民族も違っており、必ずしもユダヤ人、またパリサイ人や律法学者たちだけではありませんでした。
     もっともパリサイ人や律法学者たちは、執拗なまでに、イエス様の監視を行なっていたことは、すでに承知の事実ですが。

     そして今回も、パリサイ人や律法学者たちが、イエス様のもとに集まっていたのです。しかも彼らは、ガリラヤとユダヤとのすべての村々や、エルサレムから来ていたと言うのです。とすれば、当然ユダヤ最高議会議員たちもそこにいた、あるいはイエス様の故郷ナザレからも来ていたことは、明白なことです。

     彼らは、イエス様の教えを聞きに、そして本当に求めていたのでしょうか。多くのパリサイ人や律法学者たちは、イエス様が何者であるのかを、見極めにやって来たのですが、その中には、日本の隠れキリシタンのように、隠れ弟子がいたと思われるのです。
     もしかしたら、この時、その中にニコデモや、アリマタヤのヨセフも同席していたかも知れません。

     さてイエス様は、おもに何を教えられたのでしょうか。やはり「神の国について」であり、あるいは「山上の垂訓」ではなかったのではないでしょうか。
     特にイザヤ書を用いられたことも十分に考えられます。なぜなら彼らが良く知っているメシヤ預言だからです。

     以前イエス様は、故郷ナザレの会堂においてイザヤ書から、み言葉を語られました。

    「私の上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、私に油を注がれたのだから。主は私を遣わされた。捕われ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるために。きょう、聖書のこのみ言葉が、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」

     そして御力を持って、病気やわざわいを直しておられたのです。その御わざを見た彼らは、認めざるを得なかったに違いないのです。なぜなら、こんな奇蹟を見ることなど、今までに無かったからです。
     まさに、主イエス様の成される御わざこそが、神の御子キリストであることを証明しているのですから。》

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