◇◆◇日々のみ言葉
2016年12月31日(土)
◎聖書箇所 【ルカの福音書5章37節~38節】
5:37「また、だれも新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は皮袋を張り裂き、ぶどう酒は流れ出て、皮袋もだめになってしまいます。
5:38 新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れなければなりません。」
◎ショートメッセージ
《主イエス様は、パリサイ人や律法学者たちに三つのたとえを彼らに話されました。
最初のたとえは、
「だれも、新しい着物から布切れを引き裂いて、古い着物に継ぎをするようなことはしません。そんなことをすれば、その新しい着物を裂くことになるし、また新しいのを引き裂いた継ぎ切れも、古い物には合わないのです。」と言うことでした。
そして、さらに彼らに分かりやすく教えるために、皮袋のたとえを話されたのです。
当時、水やぶどう酒は、羊の皮から作った皮袋に入れて保存しました。この皮袋は、ほぼ羊の同体の形をしていて、前足と後ろ足の部分は切り取って、縫い合わせたもので、おもに首の部分に出し入れ口があるものでした。
新しい皮袋は弾力性があるものですが、古い皮袋は、もはや弾力性もなく、それ以上膨張することは出来なかったのです。
新しいぶどう酒とは、葡萄の実をすり潰して葡萄ジュースにしたもので、葡萄の実の皮についた酵母によって、すぐに発酵を始めます。発酵すると、二酸化炭素が発生します。
普通は最初に壺や桶に入れるのですが、一週間たちますと、皮袋に入れ替えることになります。その時には、もちろん新しい皮袋が使用されるのです。新しい皮袋は、発生したガスによって膨張したとしても、その弾力性によって、滅多に破裂することはありませんでした。
しかし古い皮袋は、もうすでに膨張しきっており、また弾力性にも乏しく、もし古い皮袋に新しいぶどう酒を入れたとしたら、その発生するガスによって、ついには破裂してしまい、新しいぶどう酒は流れ出し、また皮袋もだめになってしまうのです。
このたとえ話によって、いかにキリスト教信仰が、膨張し広がって行く力を持つ、力強いものであるかということを物語っています。
そしてイエス様の教えは、まったく新しい柔軟な心の持ち主、あるいは柔らかな魂に入れるべきものであると言うことを教えているのです。
ユダヤ教信仰に、付け足したり、また少し入れ替えたりと言うものではなく、全く新しい信仰生活、すなわち喜びに満ちあふれた信仰生活を促して行くべきものと、言うことなのです。
古いぶどう酒とは、ユダヤ教を指し、古い皮袋とは、パリサイ人や律法学者たちを指し示します。だからこそ、彼らは受け入れることが出来ないのです。
イエス様の新しい教えは、新しいぶどう酒ですから、新しく作られた皮袋、すなわち生まれ変わった、生まれ変えられた魂にこそ、入れるのに相応しいものなのです。
私たちの皮袋は、新しいのです。しかし、今も新しいままですか?
新しいものの、やがていつかは古くなってしまうものです。古くならないために、いつまでも新しいままの状態を保つためには、手入れが必要です。その手入れこそが、「日々のデボーション」であり、祈りなのです。》