• 日々のみ言葉 2017年1月5日(木)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2017年1月5日(木)

    ◎聖書箇所 【ルカの福音書6章5節】
    6:5 そして、彼らに言われた。「人の子は、安息日の主です。」

    ◎ショートメッセージ
    《「なぜ、あなたがたは、安息日にしてはならないことをするのですか。」パリサイ人たちが言ってきました。
     主イエス様は彼らに答えて言われたのです。
    「あなたがたは、ダビデが連れの者と一緒にいて、ひもじかったときにしたことを読まなかったのですか。ダビデは神の家にはいって、祭司以外の者はだれも食べてはならない供えのパンを取って、自分も食べたし、供の者にも与えたではありませんか。」

     『イエス様が、ダビデの行為を挙げて説明された時、イエス様の御心の中には、ダビデのしたことがなぜ許されたのかと言いますと、その時、ダビデはまだイスラエルの王とはなっていませんでしたが、すでに王としての油注ぎを預言者サムエルから受けていたということがあったからです。
     王は法律に縛られません。ですから祭司アビメレクからパンを無理してもらうことができたのです。
     イエス様は、神から遣わされて来た王の王であり、安息日を人間に求めた主ご自身ですから、安息日の律法に縛られたりするわけがないということが、ここでイエス様の言わんとしておられることです。』と、尾山令仁先生は言われています。

     マルコは平行記事として、イエス様の語られた言葉を、しっかりとすべて書き記しています。
    『「安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために造られたのではありません。人の子は安息日にも主です。」(マルコの福音書2:27 ~2:28)』

     この言葉は、はっきりとパリサイ人たちに「安息日」の意味を教えています。本来安息日は、霊肉魂と共に、ゆっくりと休み、くつろぐことを教えているのです。そして、神様の御前に出て、明日から始まる新しい六日間に働く力をいただくものなのです。

     ところが、パリサイ人たちは、何が仕事になるのかを研究したのは良かったのですが、今度は、その戒律に彼らが縛られてしまい、せっかくの安息日を休むどころか、逆に自分が戒律を破ってはいないかどうか、神経をぴりぴりさせることとなったのです。
     そればかりではありません。自分だけに目を留めるのなら良かったのですが、それだけに飽き足らず、今度は他人が戒律を破っていないかどうか、神経を尖らせて見張るようになってしまったのです。まさしく本末転倒です。

     それゆえイエス様がおられた当時のユダヤの人々は、パリサイ人や律法学者たちが定めた戒律を守るために、家でじーっとしていたわけです。また、用があって外にでる時には、パリサイ人や律法学者たちの監視の目にビクビクしていたと言うのです。

    「安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために造られたのではありません。人の子は、安息日の主です。」」
     安息日を定められた主イエス様本人が言っておられるのです。私たちには、一週間に一日の安息が、本当に必要なのです。》

Comments are closed.