◇◆◇日々のみ言葉
2016年1月6日(金)
◎聖書箇所 【ルカの福音書6章6節~7節】
6:6 別の安息日に、イエスは会堂にはいって教えておられた。そこに右手のなえた人がいた。
6:7 そこで律法学者、パリサイ人たちは、イエスが安息日に人を直すかどうか、じっと見ていた。彼を訴える口実を見つけるためであった。
◎ショートメッセージ
《「安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために造られたのではありません。人の子は、安息日の主です。」
主イエス様は、パリサイ人や律法学者たちに、このように教えられたのです。これは、主イエス様ご自身が、安息日を定められた神様であることを語っておられるのです。
モーセによりますと、
『安息日を守って、これを聖なる日とせよ。あなたの神、主が命じられたとおりに。六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。
しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。あなたも、あなたの息子、娘も、あなたの男奴隷や女奴隷も、あなたの牛、ろばも、あなたのどんな家畜も、またあなたの町囲みのうちにいる在留異国人も。そうすれば、あなたの男奴隷も、女奴隷も、あなたと同じように休むことができる。
あなたは、自分がエジプトの地で奴隷であったこと、そして、あなたの神、主が力強い御手と伸べられた腕とをもって、あなたをそこから連れ出されたことを覚えていなければならない。それゆえ、あなたの神、主は、安息日を守るよう、あなたに命じられたのである。(申命記5:12 ~5:15)』と、書かれています。
しかしパリサイ人や律法学者たちは、自分たちが定めた規律に従って生きて来たのです。そしてそれを守ることによって、人々から認められ尊敬されて来たのです。その律法(口伝律法とも言い、昔の人の言い伝え)を、安易に破るイエス様と弟子たちに対して、激怒していました。
さて、「別の安息日」とは、少なくとも1週間以上、後の出来事を意味しています。この会堂がどこであるのかルカは書いていませんが、マルコの福音書2章の平行記事から判断しますと、やはりカペナウムであると思われます。
『数日たって、イエスがカペナウムにまた来られると、家におられることが知れ渡った。(マルコの福音書2:1)』
『イエスはまた会堂にはいられた。そこに片手のなえた人がいた。(マルコの福音書3:1)』
また、そこには右手のなえた人がいた、となっていますが、まずこの人はユダヤ人であることは間違いありません。
そしてイエス様が、カペナウムのユダヤ人の会堂シナゴークで教えられていたことを、パリサイ人たちと律法学者は知っていて、何とかイエス様を罠に陥れようとして、待ち伏せていたのです。
おそらく右手のなえた人は、彼らが無理矢理に引っ張って来た可能性が非常に高いと思われます。
そしてイエス様が、彼を直すかどうか見ていようと言うのです。彼らの戒律では、安息日には命にかかわる場合以外、すべての医療行為は禁止されているからです。
なぜなら仕事になってしまうからです。よって医者は命に別状がなければ、「また明日来なさい」と言うことになります。あるいは見ようともしないかも知れません。
彼らは、右手の萎えた人のいやし、あるいは神様の御わざを求めていたのではなく、律法破りとして、イエス様を訴える口実を捜していたのです。
まさに本末転倒であり、真理を見失ってしまっているのです。》