◇◆◇日々のみ言葉
2017年1月7日(土)
◎聖書箇所 【ルカの福音書6章8節~9節】
6:8イエスは彼らの考えをよく知っておられた。それで、手のなえた人に、「立って、真中に出なさい。」と言われた。その人は、起き上がって、そこに立った。
6:9イエスは人々に言われた。「あなたがたに聞きますが、安息日にしてよいのは、善を行なうことなのか、それとも悪を行なうことなのか。いのちを救うことなのか、それとも失うことなのか、どうですか。」
◎ショートメッセージ
《別の安息日に、イエス様はカペナウムの会堂にはいって教えておられました。そこには右手のなえた人がいました。
彼は、イエス様が来られる前に、すでに会堂にいたと思われます。なぜなら律法学者、パリサイ人たちの仕掛けた罠であったからです。おそらく彼らがあえて会堂に連れて来たのではないでしょうか。
なぜならイエス様が安息日に人を直すかどうか、じっと見ていたからです。そして訴える口実を見つけようとしたのです。
彼らの戒律では、安息日においては、命に危険がない限り、すべての医療行為は禁止されていたからです。よって手がなえた人は、その手がなえていたとしても命にはかかわりがありませんから、もしイエス様がいやされたとしたら、間違いなく律法違反となり、ユダヤ議会に訴えることが出来ると言うわけです。
ここで、まさしくパリサイ人や律法学者たちが、偽善者であることが分かります。
右手のなえた人は、それまでにどれほどの苦しみを味わって来たことでしょう。もしかしたら生まれつきだったかも知れません。
そうであるとしたら、そのように生まれて来たことは、先祖あるいは両親の罪の結果として、パリサイ人や律法学者たちは、彼を裁いて来たのです。
彼に取っては、まさに右手のなえていることは死活問題でした。その彼をイエス様が直すかどうか、じーっと見ていたのです。
神様の御わざである奇蹟を見て、神様を誉め讃えるのならばともかく、彼らはその御わざによって、罪に定めようとしていたのです。本末転倒も過ぎることです。
良い行ないを悪しき行ないに、置き換えようとしているのです。
彼らの心をすべて見通されたイエス様は、このように言われます。
「あなたがたに聞きますが、安息日にしてよいのは、善を行なうことなのか、それとも悪を行なうことなのか。いのちを救うことなのか、それとも失うことなのか。」
安息日は人間の為に設けられたのです。安息日の為に人間が設けられたのではありません。また安息日は、すべての仕事から解放され、共に集まり、創造主なる神様を礼拝する時なのです。それによって、さらなる祝福と恵みを受けることが出来るのです。
イエス様は、右手のなえた人に「立ちなさい」と言われました。
これは、信仰の行動を求められてます。彼は、伏せっていたのです。彼は、そのハンディの為に絶望していたのです。その彼に、立ちなさいと言われました。これは、その状態から、そしてイエス様を見上げなさいと言うことなのです。
そして「真ん中に出なさい」と言うことは、有るがままの状態で、イエス様の御元に来なさいと言うことです。またその状態を隠すのではなく人々の目に、現状をさらけ出しなさいと言うことです。
彼はイエス様の言葉に従いました。従った時に神様の奇蹟の御わざが起こるのです。》