◇◆◇日々のみ言葉
2017年1月13日(金)
◎聖書箇所 【ルカの福音書6章18節~19節】
6:18イエスの教えを聞き、また病気を直していただくために来た人々である。また、汚れた霊に悩まされていた人たちもいやされた。
6:19群衆のだれもが何とかしてイエスにさわろうとしていた。大きな力がイエスから出て、すべての人をいやしたからである。
◎ショートメッセージ
《マルコは、
『さて、イエスは山に登り、ご自身のお望みになる者たちを呼び寄せられたので、彼らはみもとに来た。そこでイエスは十二弟子を任命された(任命して使徒と名づけられた)。それは、彼らを身近に置き、また彼らを遣わして福音を宣べさせ、悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。(マルコの福音書3:13~3:15)』と書いています。
マタイは、
『イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直すためであった。(マタイの福音書10:1)』とも書いています。
それからイエス様は、ご自身が選ばれた十二使徒とともに山を下り、平らな所にお立ちになられました。
すると多くの弟子たちの群れや、ユダヤ全土、エルサレム、さてはツロやシドンの海べから来た大ぜいの民衆がそこにいた、と言うのです。
彼らは、イエス様の教えを聞きに来た人々でしたが、病気を直していただくために来た人々、そして汚れた霊に悩まされていた人々も大勢いたのです。
今までは、病のいやしも悪霊追い出しも、イエス様ご自身だけで、一人でされていたのですが、あまりにも大勢の人数では、もはやイエス様一人では、いくら時間があったとしても、ミニストリーばかりに時間を取られてしまい、大切な教えと弟子訓練が出来なくなってしまいます。
それだからこそ、十二使徒を任命し、少しでも負担を少なくため、また分担させて、いち早くみなをいやし、「天の御国」についての教えに専念されようとしたのです。
群衆のだれもが、何とかしてイエス様に触れようとしていた、とあります。
なぜなら大きな力がイエス様から出ていて、信仰によってイエス様のお着物にでも触れることが出来た人々は、みないやされたからです。
弟子たちも、イエス様から与えられた権威を用いて奮闘し、そしてついに、すべての人がいやされたのです。悪霊から解放されたのです。
この後、イエス様は群衆に、「山上の垂訓」と同じ内容の教えをなされます。一部の聖書学者は、マタイにおける「山上の垂訓」と、ルカのこの場面での教えを、同一と考えていますが、尾山令仁先生は、まったく別な場所でされた教えであると言われています。
イエス様は、おそらく何度も何度も、同じ教えをされたと私は思うのです。それによって、弟子たちが成長出来るよう、訓練されたと私は信じるのです。》